【長谷川穂積】愛車の伝説の旧車カワサキZ1の仕様スペックや価格

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【長谷川穂積】愛車の伝説の旧車カワサキZ1の仕様スペックや価格

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ボクシング元世界チャンピオンの「長谷川穂積」さん。現在は、解説者やYouTuberとしても有名で幅広く活躍されています。元々、バイク好きとしても有名ですが、今回は「長谷川穂積」さんの愛車「カワサキ900superfour」、通称:Z1に注目です。


「長谷川穂積さんのプロフィール」

  • 本名:長谷川 穂積
  • 通称:日本のエース
  • 階級:スーパーバンタム級
  • 身長:168.5cm
  • リーチ:169cm
  • 生年月日:1980年12月16日
  • 出身地:兵庫県西脇市
  • プロボクシング戦績:総試合数 41
  • 勝ち:36
  • KO勝ち:16
  • 敗け:5
  • 経歴:小学2年時から元プロボクサーの父親(バンタム級で3戦したが心臓の欠陥が発見されて引退)にボクシングを教わるようになるが、その厳しさに反発し中学時代は卓球部に所属。市大会で優勝したこともある。兵庫県立多可高等学校全日制時代は後の夫人となる女性と遠距離恋愛に至り学業が疎かになったことで留年が決定し、これが原因で2年で中退。本人曰くその女性と一緒に暮らしたくて中退する動機を作ろうと意図的に赤点を複数取ったという(後に兵庫県立西脇北高等学校定時制に編入して19歳で卒業)。その後、千里馬神戸ジムに入門。これは実家を離れて上記の女性と同居する際父親に課された条件であり、ここから本格的にボクシングを始める。プロテストの一度目はスタミナ不足もあり不合格となったが、2度目の受験で合格し、1999年11月22日にプロデビュー。4回戦時代は2度の判定負けを経験。(2回目の敗戦は麻疹で練習が殆ど出来ず、試合当日も体温39度以上の状態だった。後に6回戦で再戦し勝利している。)一時期スーパーバンタム級で試合した経験も有する。2002年10月27日、まだノーランカーだったが、日本バンタム級4位の熟山竜一にフルマークの10回判定勝ちを収めて注目を集めるようになる。2003年5月18日、ジェス・マーカ(フィリピン/42勝(17KO)17敗5分)を12回判定に降し、OPBF東洋太平洋バンタム級王座を獲得。その後、3度の防衛に成功し、2004年12月20日に王座を返上。2004年10月30日、両国国技館にてWBAミニマム級王者新井田豊の初防衛戦の前座として、当時WBA4位の鳥海純と世界挑戦権をかけて対戦。10R判定で勝利し、当時WBC王者のウィラポンへの挑戦権を獲得した。2005年4月16日、20戦目で世界初挑戦。日本武道館で行われたダブル世界戦の1試合(もう1試合は新井田豊のWBA世界ミニマム級王座2度目の防衛戦)でWBC世界バンタム級王者ウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ/47勝(33KO)1敗2分)に挑む。ウィラポンは1998年12月に辰吉丈一郎を破って王座獲得。その後、辰吉との再戦にも勝利し、さらに西岡利晃の挑戦も4度退け、この試合が15度目の防衛戦。試合は長谷川は序盤から有効打を的確に当て、4回までリードを奪っていく。しかし、ウィラポンも王者の意地を見せ、試合の中盤を支配した。終盤、長谷川はスタミナ切れを起こし始めたウィラポンを攻め立て、10回にはウィラポンをグラつかせた。最終12回まで壮絶な打ち合いを展開し、3-0の判定勝ち。世界王座奪取に成功した。この試合は2005年度年間最高試合に選ばれた。この世界王座奪取が高く評価され、5月には西脇市民栄誉賞を受賞。2011年8月1日、所属する真正ボクシングジムでの会見にて現役続行を表明。同年12月17日に神戸市立中央体育館でWBCスペイン語圏フェザー級王者フェリペ・カルロス・フェリックス(メキシコ)を相手に再起戦が組まれたが、練習中に全治1か月の怪我を負ったため中止。2012年4月6日、仕切り直しの再起戦。東京国際フォーラムにおいて前年12月に対戦予定だったフェリックスと改めて対戦し、7回2分28秒TKO勝ちを収めた。試合直後は進退を保留としたが、同月21日に現役を続ける意思を表明し、10月には、スーパーバンタム級とフェザー級の両睨みで世界王座復帰を目指すため、次戦をスーパーバンタム級で行うことを発表。2012年12月22日、神戸市立中央体育館にて世界前哨戦、55.8kg契約ノンタイトル10回戦で、WBC世界スーパーバンタム級13位のアルツロ・サントス(メキシコ)と対戦し、判定3-0で勝利。2016年9月16日、大阪府立体育会館にてWBC世界スーパーバンタム級王者ウーゴ・ルイス(メキシコ)と対戦し、ルイスが9回終了時に棄権した為3階級制覇を達成。2016年12月9日、神戸市内で記者会見を行い、「9月16日の試合を最後としたい」「闘う理由がなくなった」として現役を引退することを表明。世界王者として現役を引退したのは、大場政夫(WBA世界フライ級王者、現役中に交通事故死)と徳山昌守(WBC世界スーパーフライ級王者)に次いで3人目。

「長谷川穂積さんの愛車カワサキ・900superfour(Z1)」

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「長谷川穂積」さんの愛車は、日本の名車「カワサキ・900superfour(Z1)」。

1972年モデルの火の玉カラー。カスタム内容は、アップハンドル、CRキャブレター、集合管マフラー…etc。現在の中古車価格では、1972年の初期型モデルならば1000万円オーバーと言われています。


「カワサキ・900SUPERFOUR(Z1)」:概要

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世界最速の座を4ストロークエンジンでも狙うべく、カワサキが進めていたプロジェクトから誕生したモデルが通称Z1。開発当初は排気量750ccだったものの、1968年のモーターショーで、ホンダが量産市販車初となる空冷4気筒モデル「ホンダ・CB750 Four」を発表し、それを超えるインパクトを市場に与えるため、新たに900ccエンジンへと仕切り直されたということです。そして1972年、前代未聞のビッグバイク「Kawasaki 900 SuperFour」通称“Z1”が登場したのでした。Z1という呼び名は、1973年に登場したZ2に対してつけられた呼称である。その車名に関された“Z”の由来は「最高にして最後のもの」という意味からアルファベットの最後の文字が与えられたことによる。また、当時カワサキでは新開発車にステーキ名を付けていたことからZ1はアメリカで「特大」を意味する「ニューヨークステーキ」の愛称が付けられていました。当時としては画期的なDOHCを採用し、排気量は世界最大の903ccとなり、82馬力のスペック。もちろん量産市販車として初の快挙であり、発売後間もなく、Z1は世界中で人気を博すモデルとなりました。スクエアのボアXストローク、ドーム型燃焼室、直押しタイプのバルブ、組み立て式クランクシャフト、1100ccまでのボアアップに耐えられるクランクケースなど、Z1はカワサキの技術の粋を集めて開発されたモデル。後に“火の玉”と呼ばれるカラーリングを採用したティアドロップタンクや、スタイリッシュかつ挑戦的なシルエットのテールカウル、4気筒を誇示する4本マフラー、砲弾型のメーターなど、細部にわたるデザインを見ても、非常に斬新なもの。また4ストローク、排気量903ccのDOHCエンジンを搭載し82ps/8500rpmをほこるパワーはゼロヨン12秒、最高速209km/h以上と、世界一のデータをたたき出すことに成功。速いだけではなく、何よりも乗りやすく、タンデムでも高速巡行が可能なマシンとしてカワサキの名車となっています。


「カワサキ900SUPERFOUR(Z1)」:スペック

  • エンジン形式:空冷4ストローク並列4気筒DOHC2バルブ
  • 内径×行程(総排気量):66.0×66.0㎜(903cc)
  • 最高出力:82PS/8500rpm
  • 最大トルク:7.5kg-m/7000rpm
  • ミッション:5速リターン
  • ブレーキ形式前・後:ディスク・ドラム
  • 全長×全幅×全高:2200×865×1170㎜
  • タイヤ前・後:3.25-19・4.00-18
  • 燃料タンク容量:18ℓ
  • ホイールベース:1490㎜
  • 乾燥重量:230kg

「カワサキ Z1」:モデル一覧

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1972年モデル(Z1):カワサキが世界最速の威信をかけて生みだしたZ1のデビューモデル。スムーズかつパワフルなDOHCエンジンと美しいスタイルで市場を席巻した。この初期型でフレーム番号の若い車両はプレミア付きの高値となっている。現在では最初期モデルは1000万円オーバー。

1973年モデル(Z1):この年Z1の登場から遅れること1年で排気量を746ccとしたZ2の国内版亮が開始された。Z2同様シートベルトが装備された欧州仕様のイエローボールカラーのZ1。この年式までブラックペイントされたエンジンを搭載する。

1974年モデル(Z1A):前期モデルのカラーイメージを踏襲したオレンジとイエローの通称「タイガーカラー」にグラフィック変更を受ける他、エンジンがアルミ地肌のシルバーとなる。中古車相場ではこの年式を境に前期と後期で若干の価格差がある。

1975年モデル(Z1B):グラフィックはそのままに、マルーンとブルーの通称「玉虫カラー」へカラーチェンジされた他、サイドカバーエンブレムのデザイン変更を受ける。中古車市場で台数が多いZ1B。近年、特に青玉虫カラーが人気。

1976年モデル(KZ900):北米仕様のKZ900、欧州でZ900の名前で発表されたZ1からのマイナーチェンジモデル。Z1こ比べると中古車相場も安値であり、基本骨格やエンジンは同一であるためZ1仕様を作るのも良い。ただしタンクは外プレスタンクとなり、Z1と異なる。

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