【湘南純愛組!】登場車種の旧車ケンメリ改とS30型240ZG改

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【湘南純愛組!】登場車種の旧車ケンメリ改とS30型240ZG改

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1990年代において「少年マガジン」で人気だった漫画の代表作として「湘南純愛組!」を挙げる方も多いかもしれません。この「湘南純愛組!」や「特攻の拓」、「カメレオン」の影響でバイクやクルマに興味を持って旧車や名車を知り、改造やテクニックを知ったという方も多いのではないでしょうか。今回は、「湘南純愛組!」に登場する旧車の「日産・スカイライン(ケンメリ)」と「日産・フェアレディZ」に注目です。


「湘南純愛組!」:あらすじ

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不良の巣窟極東高校を締めていた鬼爆コンビは学校から退学通告を受けるものの、それは自らによる偽装工作であり、今やおたく以下とされるヤンキーから足を洗い、パンピー(一般人)になる為の自主退学。2人は童貞を捨てる事を目標に、与論島でリゾートバイトを始める。その後、辻堂高校に転入した鬼爆コンビはさまざまな不良たちから喧嘩を売られ始め、毎日を喧嘩で過ごし….という流れ。


「仲条國士のS30型フェアレディ240ZG」

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「湘南純愛組!」に登場する「仲条國士」の愛車は旧車の「日産:S30型フェアレディ240ZG」。


「仲条國士(なかじょう くにと)」

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  • アニメ:森川智之
  • 実写版:近松仁(Vシネマ)
  • かつては2代目暴走天使の江ノ島支部を治めていた。名前自体は序盤から出ていたが登場したのは中盤。愛車はバーフェン仕様のS-30フェアレディZ。塚井の中学時代の先輩である。中学時代は塚井を気に入っていたらしく、他の元江ノ島四中四天王は塚井を妬んでいたようである。怪力の持ち主で、パンチで相手を何メートルも飛ばしたことがあった。悪鬼夜行との一件で鬼塚を疑い一戦交えたり、鬼爆が闇皇帝と乱闘騒ぎを起こした際に田村と共に名前を騙られて小競り合いを起こしているが、なぜか互いに冗談を言い合えるほど仲が良いのが作中で伺える。横浜騎兵との抗争時は韋駄天と殺戮部隊に顔を利かせ、まとめて指揮するなど統率力が高い事が伺える。不良校で進学率ゼロ、就職率7%の「江ノ島商業高校(江ノ商)」を仲条が1年生でありながら1ヶ月で手中に収めたという。

「S30型/S31型:フェアレディZ」:開発コンセプト

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世界的な日本の国産名車として知られる「ダットサン(日産):フェアレディZ」は、1969年に先代モデルとなるオープンボディの「ダットサン:フェアレディ(SR311/SP310)」の後継モデルとしてデビューしました。デビューに至るまでの開発は、1960年代当時、アメリカ日産の社長であった「片山豊」氏でした。「ダットサン・フェアレディ(SR311)」でモータースポーツでは成功を収めていたものの、市場では年々厳しくなる北米の安全基準に適合できなくなると考え開発がスタートしました。自身はインタビューで「ジャガー・Eタイプのような車を造ってくれ」と要望を出したと述べており、初代モデル「フェアレディZ」のエクステリアデザインは優雅で美しいボディシルエットが描かれました。さらに「フェアレディZ」のシャシーポテンシャルは高度なもので、軽量なモノコックボディに、前後輪ともストラット式サスペンションによる四輪独立懸架を備え、市場で先行する「ジャガー・Eタイプ」や「ポルシェ・911」などと競えるほどに仕上げられました。


「エクステリアデザイン」:ロングノーズ・ショートデッキ

「ジャガー」のようなシルエットを目指したエクステリアデザインは、丸目2灯のフロントから伸びやかな曲線を描きながらリアへと伸びるボディシルエット、フロントのグリルやボンネットはスポーティモデルらしく、ボディサイドは低く構えて見えるようなデザインとなっています。

  • (出典:www.teavalley.jp)

リアのコンビネーションランプもシンプルながら無駄のない機能美となっています。テールエンドの縦2本だしのマフラー(縦ディアル)がスポーティモデルの証です。

  • (出典:www.teavalley.jp)

「インテリアデザイン」:スパルタンな仕様

  • (出典:bingosports.co.jp)

「S30型系」はスポーティモデルゆえにインテリアデザインはスパルタンな仕様です。ダッシュパネルもドライバーをその気にさせる5眼メーターに直立のシフトノブと硬派な印象です。

  • (出典:bingosports.co.jp)

「L型&S20型」:名機を搭載

「フェアレディZ」に搭載されたL型直列6気筒エンジンは、SOHC動弁機構を備えた2000ccクラスの最新式ではあったものの、素性は鋳鉄シリンダーブロックにターンフロー燃焼室を組み合わせた手堅い実用型エンジンでした。またアメリカ仕様は2.400ccへの排気量拡大でトルクを太らせたL24型エンジン採用でパワー対策していました。

  • (出典:bingosports.co.jp)

名機:L型エンジンは耐久性、低速域からのトルクに富み、大排気量アメリカ車同様に実用域で扱いやすいエンジンでした。「ジャガー」や「ポルシェ」の高性能であるものの複雑なパワーユニットに対して、シンプルな設計のおかげで手荒な取り扱いにも耐え、信頼性が高く整備も容易ということもあり、アメリカ市場でのユーザーニーズに合致したユニットでした。こうした特性ゆえに多くのチューニングベースとされ、多くの名チューナーを育て上げました。この面では、実用車向け量産エンジンをチューニングして搭載していたかつてのイギリス製スポーツカーの良き伝統を受け継いでおり、「フェアレディZ」に実用型スポーツカーとしての優れた特性を与えることになりました。

  • (出典:bingosports.co.jp)

またレーシングマシン直系のパワーユニットとなるエンジン、S20型搭載のDOHCモデル(PS30型)は「フェアレディZ432」として登場しました。


「当時の新車販売価格・現在の中古価格」

日本国内における当時の新車販売価格が廉価版の「Z」が84万円、「Z-L」が105万円とスポーツカーとしては比較的安価であったことで爆発的にヒットした。「432」は182万円、後に追加された「240ZG」は150万円。ヨーロッパ製の高級GTに匹敵するスペックと魅力あるスタイルを兼ね備えながら、格段に廉価であったことで、北米市場を中心に大ヒットしました。

日産(DATSUN)のイメージリーダーカーとして、足掛け10年もの長期に渡って生産され、世界総販売台数55万台(うち日本国内販売8万台)という、当時のスポーツカーとしては空前の記録を樹立しています。「ダッツン・ズィー」の愛称で親しまれ、日産自動車の輸出モデルの総称でもある「DATSUN」の名を世界に知らしめ、日産の海外進出の活路を拓いた日産の記念碑的車両となりました。現在でも日本国内はもとより世界的にクラシックカーとしての人気や知名度は高く、現在の中古価格相場は下記の通りです。

フェアレディZ(S30型/S31型):250万円~ASK(1,000万円オーバー)


「S30型/S31型(1969年-1978年)」:モデルヒストリー

  • 1969年:日本国内ではSUツインキャブレターを装備したSOHCのL20型と、当時の旧プリンス系で開発されスカイライン2000GT-Rに搭載されていたソレックスツインチョークキャブレターを3基装備したDOHCのS20型の2種類の直6 2.0 Lエンジンが設定されてデビューしました。L型搭載のSOHCモデル(S30型)にはベースモデルで4速MT搭載の「フェアレディZ」と、5速MTを搭載し、AMラジオ付きカーステレオ、助手席フットレスト、リクライニングシートなどの装備を充実させた「フェアレディZ-L」、S20型搭載のDOHCモデル(PS30型)は「フェアレディZ432」として登場しました。ちなみに「432」とは、「4バルブ・3キャブレター・2カムシャフト」を意味しており、搭載されるS20型エンジンの構造に由来したモデル名でした。さらに特別モデルとして、競技用ベース車両として、ヒーターすらオプションとなり、キャブレータにエアクリーナーはなくファンネルのみが付き、FRP製エンジンフード、アクリル製ウィンドウを採用するなどの軽量化が施された「フェアレディZ432-R」も存在しました。これには「運輸省(当時)に対し登録してナンバーを取得しないことを条件に型式認可をもらった」「購入者は競技のみに使用する旨の念書が取られた」などという(真偽不明の)逸話もあるほどで生産台数は30数台といわれており超希少なモデルとなっています。そして同年、輸出仕様としてアメリカとイギリスでは2.4LのL24型エンジンを搭載した「ダットサン240Z」(HLS30 / HS30型)を発売しています。
  • 1970年:フェアレディZ-L」に3速AT(ニッサンフルオートマチック)車を追加し、それまでハイオクガソリン仕様のみでしたが、レギュラーガソリン仕様車も全グレードに追加発売されました。L20型は、ハイオクガソリン仕様130ps、レギュラーガソリン仕様125ps。S20型はハイオクガソリン仕様160ps、レギュラーガソリン仕様155psというスペックとなりました。
  • 1971年:ベースモデルの「フェアレディZ」にも3速AT車を追加するとともにマイナーチェンジが施されています。それまで輸出専用であったL24型エンジンを搭載した「フェアレディ240Z」「フェアレディ240Z-L」「フェアレディ240Z-G」を日本国内でも追加発売しています。240Z-Gには「グランドノーズ」(後年の通称“Gノーズ”:ただしカタログでは“エアロダイナ・ノーズ”)と呼ばれるFRP製のフロントバンパー一体型のエアロパーツとオーバーフェンダーが装着されました。
  • 1973年:2.000ccモデルの「Zシリーズ」をマイナーチェンジし昭和48年排出ガス規制適合、ダッシュボードの意匠変更とテールランプとリアガーニッシュの変更が施され、バックランプがガーニッシュ内に配置されました。そして、この年に残念ながら公害問題やガソリン高騰などにより、「フェアレディ・Z432」シリーズと日本国内の「フェアレディ・240Z」シリーズの2モデルの生産を中止しています。
  • 1974年:全長を310mm延長した、4人乗りモデル(GS30、1月17日発表・発売)である2by2(ツー・バイ・ツー)が登場しています。輸出モデルは従前の2.400ccから2.600ccのL26型エンジンの変更で排気量アップした「ダットサン260Z(RLS30型)」が登場しています。「260Z」は一部を国内基準に適合させ、当時右側通行だった沖縄で販売されていました。日本国内でもL26型エンジンを搭載した「フェアレディ260Z」の発売を予定していたが、オイルショックなどの影響で発売されることはありませんでした。
  • 1975年:型式が「A-S30・A-GS30」となりました。これは昭和50年排出ガス規制の施行に伴い、SUツインキャブからL20E型(ドイツ・ボッシュ開発のL-ジェトロニック式電子制御燃料噴射装置・ニッサンEGI)に変更、同時に排気系に触媒を有する、排気ガス浄化システム「NAPS(ニッサン・アンチ・ポリューションシステム)」を装着したことが関係しています。そして輸出モデルは従前の2.600ccから2.800ccのL28E型エンジンの変更で排気量アップした「ダットサン280Z(HLS30)」へとチェンジされています。また北米モデルは5マイルバンパーと呼ばれるショックアブソーバ付きの大型バンパーが装着されています。
  • 1976年:「フェアレディZ-T」が追加されています。このモデルは「フェアレディ・Z-L」をベースにFM/AMマルチカセットステレオ、電動式リモコンフェンダーミラー、パワーウインドウなどを追加装備した上級グレードでアルミホイールをオプション設定しています。昭和51年度排出ガス規制の施行に伴い、「排気ガス還流装置 (EGR) 」などを追加装備。そして、型式が「A-S30・A-GS30」から「C-S31・C-GS31」と変更されています。
  • 1978年:「S30型/S31型」の登場から10年のモデルライフも「S130型」へのフルモデルチェンジにより生産終了となりました。

「登場する紫のケンメリのオーナー」

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「湘南純愛組!」の単行本では、27巻の「ラストシグナル」で登場。所有者は、「嘉手納南風(かでな なお)」。南野用高に代わり、英吉たちの担任になった教師。英吉・龍二が住んだオンボロアパートの「となりのとなりのねーちゃん」で、超ミニスカートを履き犯罪的な色気を振りまく。前に不良高校で受け持ったクラス全員を東京六大学に合格させた実績を買われて高給で雇われ、クラスの成績を上昇させた。背中には聖母の刺青がある。昔は紫煙の頭をしていて、「パープルヘイズのマリア」と呼ばれ、「ラストシグナル」というレースで伝説的な存在だった。また、過去に真樹京介との接点があり、その姿を英吉と重ねていた。相手が弟と知らず、「ラストシグナル」で争った時に、弟が事故で植物状態になってしまったようで、自宅で弟を介護出来る装置を医療コーディネーターから買うために教師をする傍ら、高級クラブで働いたりしていた。


「ケンメリ・スカイライン」とは

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「ケンメリ・ヨンメリ」の愛称で今でもファンを魅了し続けている4代目となる「C110系型:スカイライン」シリーズは、デビューから伝説となった「スカイライン」、悲劇の「スカイライン」などとも呼ばれるスカイラインです。デビューとなったのは、1972年9月のことでした。「GT-R」は希少価値、参戦することのなかったモータースポーツ、それでいながら先代モデルのすでに伝説となっていた「ハコスカGT-R」に搭載されていた「S20エンジン」を搭載などによって、ファンを魅了していったモデルでした。


「ネーミングの由来」

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「ケンメリ・ヨンメリ」として今でも親しまれているC110型の通称は、広告キャンペーン「ケンとメリーのスカイライン」が由来となっています。これは、先代モデルのC10型の時代に展開された「愛のスカイライン」キャンペーンを継承、発展させたものでした。「ハコスカ」時代の「愛のスカイライン」のキャッチコピーも引き続き使用されましたこのCMの内容としては、若い男女のカップルがスカイラインに乗り、日本各地を旅するというシリーズもののCMで、この二人の名がケンとメリーでした。性能の高さや、レースでの栄光といった旧来のスカイラインの硬派なイメージとは異なるソフトなイメージのCMシリーズであったものの社会現象と呼べるまでの人気となりました。そして、「ヨンメリ」については4ドアセダンは「ヨンメリ」と呼ばれており、これは、「4(ヨン)枚(ドア)のケンメリ」の略となっています。


「C110系型:スカイラインHT 2000GTX-E」:スペック

  • 年式:1976年
  • 型式:C111型
  • 全長 × 全幅 × 全高:4,660mm × 1,625mm × 1,385mm
  • ホイールベース:2,610mm
  • トレッド(F/R):1,370mm / 1,350mm
  • 車両重量:1,210kg
  • エンジン型式:L20E
  • エンジン形式:直列6気筒 SOHC
  • 排気量:1,998cc
  • 最高出力:130PS / 6.000rpm
  • 最大トルク:17.0kgm / 4.400rpm
  • 駆動方式:FR
  • トランスミッション:5MT
  • サスペンション(F/R):ストラット / セミトレーリングアーム
  • ブレーキ(F/R):ディスク / ドラム
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