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近年において日本の国産旧車の注目度が上がり、人気となっています。そこで、2021年4月1日(木)放送の『バカリズムの大人のたしなみズム』(BS日テレ 後9・00~9・54)は、バカリズムが「ネオクラシックカー」をたしなむ内容となっています。1960年代から90年代に誕生し、国内外で人気再燃中のネオクラシックカー。まずは、1978年式の「日産・フェアレディZ (S130型)」のオーナーを訪ね、古い車ならではの魅力と苦労を紹介。愛車を維持するための出費は1000万円以上、故障することにも愛を感じるというオーナーに「手がかかる子供ほどかわいいってことですね」と「バカリズム」も共感。
ちなみに「S130型フェアレディZ」の輸出モデルは、「ダットサン:280ZX」です。輸出モデルとなる「日産:フェアレディZ」ですが、「ダットサン:280Z」に、さらにGTカーのデザイン的要素を盛り込んだのが「ダットサン:280ZX」となります。トランク・スペースの広さと内装設備も、格段に充実しています。「Z」に比べると、やや大人しくシックにまとめられた感もあり、人気という意味では多少静かな一台ではあったかもしれません。それでも「10周年アニバーサリー」と呼ばれるバージョンという希少モデルが存在。カラーリングはマンハッタンカラーの個性際立つブラックとゴールドのツートンカラーです。この「バカリズムの大人のたしなみズム」で登場したモデルと同じカラーのアニバーサリーモデルを見てみましょう。
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この「ダットサン:280ZX・10周年アニバーサリーバージョン」の状態についてみてみましょう。
エクステリアデザインとして、目を引くブラック/ゴールドのツートンカラーは非常にきれいな光沢を保っています。
アニバーサリーバージョンの証拠としてのステッカーも装備。
インテリアも非常にコンディションは良い状態が保たれています。
1980年モデルでありながら走行距離6万キロということです。
起毛素材のドアの内張やセンタートンネル、フロアマット、またコンソールなども汚れ、傷もありません。
メーター類のクリアパネルも曇りなく、ステレオデッキなの装備しており、汚れも見当たりません。
パワートレインは、モデル名の「L28」エンジンに5MT組み合わされています。エンジンルーム内も非常にきれいです。
「10周年アニバーサリーバージョン」としての取扱説明書やカタログといった書類も完備しています。
Tバールーフのコンクールコンディションの「ダットサン:280ZX 10thアニバーサリーバージョン」。
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また、数々の名車を甦らせたカリスマ修理工場にも潜入。工場で見つけた超希少な旧車たちに、バカリズムは「どれもカッコいいですね。今にない良さがある」と絶賛。さらに、旧車の王様と呼ばれる「トヨタ 2000GT」が登場。日本が世界に誇る名車「トヨタ・2000GT」のデビューは、1967年5月16日でトヨタとヤマハとの共同開発で誕生したモデルでした。DOHC化された直列6気筒エンジン、日本初の4輪ディスクブレーキなどの先進的装備に国産車離れした流麗なスタイルをまとって鮮烈に登場しました。ポテンシャルも最高時速:220km/hと当時としては世界トップレベルであり、スピードトライアルでは世界記録と国際記録を樹立しています。
販売価格は、238万円で当時のカローラ約6台分と純国産のスーパーカーと言える存在でした。ちなみに1965年10月の東京モーターショーで、プロトタイプが披露され、翌66年5月には第3回日本グランプリに出場しています。同年7月の鈴鹿1000kmレースでは1-2フィニッシュで優勝するなど、デビュー前からクルマ好きの注目を集めていました。なかでも上記にある通り、1966年10月に谷田部で開催されたFIA公認スピードトライアルにおける3つの世界記録達成という偉業は、発売前にして国際的な評価をも高めていました。
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さらに、「バカリズムの大人のたしなみズム」では「ハコスカ」と呼ばれる「日産スカイライン GT-R」など、日本を代表する名車が集結。
「ハコスカ(C10系)」は、1968年8月のフルモデルチェンジでデビューしています。日産との合併後初めて新規発売されたモデルとなっています。「羊の皮を被った狼」として「スカイライン神話」となった「S54B:スカイライン 2000GT-B」の後継として登場し、「GT-R」においては、レーシングエンジン直系の「S20」エンジン搭載、モータースポーツにおいては49連勝という金字塔を打ち立ました。ネーミングとしては、当時のツーリングカーのことをハコと呼んでいたことから「ハコスカ」と呼ばれるようになりました。
1968年の10月に開催された東京モーターショ ーで、レーシング・マシンである「R380」用のGR8型 エンジンをディチューンした2リッター直6 DOHCの「S20」ユニットを搭載した「スカイライ ンGTレーシング仕様」を参考出品として公開しました。そして、1969年2月にその市販バージョンである「スカイライン GT-R(PGC10型)」がデビューしています。
レースデビューは1969年5月に開催された「JAFグランプリTSレース」となっています。日産村山工場で製作された4台のワー クスマシンがレースに参戦しましたが、結果は、当初は2位というものでした。しかしその後トップでゴールした「トヨタ1600GT」の失格裁定(走路妨害)という裁定がくだされ繰り上げによる優勝という形にはなったものの、それ以降 のレースでは圧倒的なエンジンパワーでライバルを圧倒し、前述の通り連戦連勝を飾っていくことになりました。
さらに1970年にスカイラインに2ドア・ハード トップが追加されると、GT-Rも2ドアの KPGC10型へとアップグレードされます。4ドアに比べ70mm短いホイールベースと20kg軽くなった車体の効果でコーナリング性能が向上し格段に速さが増しています。同時にレース仕様もさらなる進化を遂げ、エンジンもチューニングがルーカス製機械式イン ジェクションを装着しドライサンプ化され、排気量:1,989cc 直列6気筒 DOHC 24バルブの「S20」ユニットは、最終的に最高出力264ps/8,400rpm、最大トルク21.0kg-m/6,800rpmを発生したといわれています。そして1972年1月の「富士300キロスピード レース・スーパーツーリングレース」で、「高橋国光」氏がスカイラインGT-Rの国内レース通算50勝を達成。 最終的には国内レースで57勝を飾り、現代にまで続くGT-R神話を作り上げたのでした。
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「ディーノ」とはフェラーリの創業者である「エンツォ・フェラーリ」の長男で1956年に夭折した「アルフレード・フェラーリ(愛称:ディーノ)」が病床でアイデアを出したとされる65度V型6気筒DOHCエンジンを持ち、V型12気筒エンジン搭載の既存車種とも区別するため、新しく長男の名前で「ディーノ」ブランドが与えられたモデルです。
当時のF2用エンジンホモロゲートの条件となる台数確保のために、フェラーリが設計しフィアットが製作協力をしてエンジンを作成しフィアットはディーノスパイダー、ディーノクーペという名のFR駆動2車をフェラーリは1967年から1969年に製造しました。そして、dinoはプロトタイプを除いて全てのシャーシナンバーは偶数のみを使用していました。
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ネオクラシックカーの奥深い世界を堪能した「バカリズム」。最後に「これこそ大人のたしなみですね。やっとお金を自分の好きなものに使えるようになった人たちの夢のような生活。本当に皆さん楽しそうですね。うらやましいですね」とコメント。確かに自分へのご褒美的な趣味ですね。