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平成の時代では、ターボチャージャーやスーパーチャージャーといった過給機システム、トラクションコントロール、アクティブサスペンションシステムやAWDなどの電子制御システム、エクステリアデザインもエアロダイナミクスを考慮したデザイン、ボディ、シャシーは衝突安全性も兼ねた高剛性となり、あらゆる面で向上し熟成されていったのが、平成の時代に登場したスポーツカーの特徴といえるのかもしれません。それで今回は、「令和に残す平成の名車たち」のスポーツカーとして「平成元年」に登場したモデルを振り返りたいと思います。
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1980年代、モータースポーツではスーパーシルエットフォーミュラが流行し、「日産:マーチ」の初代モデルである「K10型」もシルエット仕様(レースに参戦はしていないレプリカモデルでした。)が登場したほどの人気でした。その初代モデルは、1982年の登場しましたが、それ以来ほとんど形を変えずに10年間製造された長寿車でもありました。その間、「日産」は「マーチ」でワンメイクレースを主催するなどモータースポーツの普及に力を入れていました。そうした競技車ベースの頂点に君臨したのが、日本初のツインチャージドエンジン搭載車である「マーチR」で、それを市販化したのが、「マーチ・スーパーターボ」でした。「マーチ・R」は1988年に登場した競技用車両で、特徴としてはエンジンが2mmのボアダウンで排気量を930ccとし、低回転域をスーパーチャージャー、高回転域をターボチャージャーで過給するシステムを備えていました。この装備によって全域での高トルクを狙ったスペシャルエンジンへと変貌を遂げていました。この排気量ダウンは1988年にFIAの競技規則変更でターボ係数が1.7になったため、1.6L以下クラスで戦うために必要な措置でした。
そして市販化された「マーチ・スーパーターボ」は保安部品を装備した「マーチ・R」のようなモデルとして登場しました。それゆえに、パワーウエイトレシオは7kg/psというポテンシャルでしたが、機械部品がエンジン周辺に集中するためフロントヘビーは避けがたく、コーナリングではアンダーステアを力でねじ伏せるテクニックが要求される仕上がりとなっていました。それでも1989年に「マーチ・R」がWRCアクロポリス・ラリーでデビューウイン(クラス優勝)するなど華々しい活躍を見せたことを受け、「マーチ・スーパーターボ」は人気となりました。
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当時はデートカーとして人気だった5代目モデルの「シルビア(S13型)」は、1988年5月に登場していました。それから約1年後の1989年4月、「シルビア」の姉妹車として「180SX」が登場しています。北米向けには「240SX」というモデルが輸出されており、これは「シルビア」のクーペボディに現地のヘッドライト位置の法規に対応するため、リトラクタブルライトを装着したモデルでした。「180SX」は、「240SX」のハッチバック版の日本仕様といえるのかもしれません。エンジンやトランスミッション、サスペンションといったパワートレーン系、ボディまわりではドアパネルとフロントウインドーなど、そしてインテリア構成パーツのほとんども「S13型:シルビア」と共通です。ただしエンジンは「CA18DET型」の1.8L 直4DOHCターボのみで、NAは用意されていませんでした。
1991年のマイナーチェンジでエンジンは「シルビア」同様に2Lターボの「SR20DET型」に換装されました。そして、その後のモデルライフは興味深いことに1993年に「シルビア」はS14型にフルモデルチェンジされたものの、「180SX」はそのまま生産が継続されました。1996年のビッグマイナーチェンジでエクステリアが変更され、1998年まで生産されましたが、パワートレーン系に大きな変更は施されていません。デビュー時のグレードには「タイプI」と「タイプII」があり、「タイプII」には「HICASII」搭載車も用意されましたが、当時はドリフトも流行っており、走りを楽しむ人たちの多くに制御のしやすさから「HICAS」なしが好まれていました。
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1969年に初代モデルのS30型がデビューした「フェアレディZ」。その4代目モデルの「Z32型:フェアレディZ」は近代化を図るべく、従来の古典的ともいえるロングノーズスタイルを捨て、ワイド&ローフォルムに一新しました。ボディは先代モデルの「Z31型」より全幅は75mm幅広く、全高は50mm低くなり、これが前1495mm/後1535mmのワイドトレッドを可能にするなど、まさにFRスポーツの世界水準を凌駕するディメンションとなっていました。サスペンションシステムは前後マルチリンクとなり、ツインターボ車はリアに位相反転制御付きの「SUPER HICAS」を採用することによって、コーナリング性能が大幅に向上しています。初代モデルの「S30型」のようなスポーツカーとしての復活は、「フェアレディZ」のGT路線化を修正したモデルといえます。
またDOHC化された「VG型:V型6気筒DOHC」エンジンは、ツイン インタークーラー付きツインターボで過給され、40kgmに迫る大トルクを発生させています。1.5トンのボディを易々と240km/hまで引き上げるポテンシャルを備えていました。DOHCならではのパワーピックアップを生かして0-400m加速も13.76秒で走りきるほどでした。最高出力230psのNA仕様も用意されましたが、自主規制が強いられた最高出力280psのツインターボはスポーツカーとして「フェアレディZ」らしさを表現していました。シャシーは2シーターとそのホイールベースを120mm延長した2by2の2タイプで、好評のTバールーフも設定されました。1992年には2シーターベースのコンバーチブルを追加し、一段と魅力を増しました。
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「ハコスカGT-R(KPGC10型/PGC10型)」はモータースポーツで圧倒的な強さを誇り「スカイライン伝説」の金字塔を打ち立てたモデルであり、その後に登場した1973年4月に生産終了した「ケンメリR(KPGC110型)」はレーシングマシンのコンセプトモデルのみの発表で、それ以来、「GT-R」はモデル名から消えていました。その「GT-R」は、この「R32型」で16年ぶりに復活。そして「GT-R」は国内最強マシンとしてその名を轟かせることになっていきました。というのも「GT-R」は特別で6連スロットルチャンバーやセラミックターボ、プレス型ストレートマフラーなどを備えた2.6L DOHCツインターボの「RB26DETT型」エンジンに加え、大パワーを受け止める電子制御トルクスプリット4WDの「ATTESA E-TS」や、切れ味鋭い操舵応答を支援する「SUPER HICAS」などにより、異次元のコーナリングを見せたのでした。
この電子制御システムの駆動方式はFRを基本に、前輪に0~50%トルク配分してトラクションの抜けを防ぐ「ATTESA」と、後輪を一瞬逆位相にしてターンインを鋭くする位相反転制御を加えた「SUPER HICAS」の組み合わせたシステムでした。このシステムによってレースでも圧倒的な強さを発揮し、グループAでは1990年のデビュー戦から1993年まで勝ち続け、29連勝を達成したのでした。そして、優勝記念車として1993年に大径のブレンボ製VディスクとBBS製17インチホイールを備えたVスペック(526万円)を発売しています。また1994年にはタイヤを225/50から245/45R17にサイズアップしたVスペックII(529万円)が発売されました。この「Vスペック」は形だけでなく確実にコーナリング限界が高まっており、「GT-R」の特別仕様こそのポテンシャルでした。
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「ロードスター」の初代モデルは、発売された当時は「マツダ」の新たな販売チャンネルであるユーノス店の1号車だったため、「ユーノス・ロードスター」としてデビューしました。リトラクタブルヘッドランプを備えたコンパクトな2座オープンボディに、「ファミリア」用の「B6型」の1.6Lエンジンを縦置き用に改良して搭載していました。フロントミッドシップにマウントすることで慣性モーメントを抑え、バッテリーのトランク配置などで2名乗車時の前後重量配分を50:50に調整するなど、操縦した時の人馬一体感を徹底追求して、FRスポーツならではのシャープな回頭性を実現していました。
キャビンも、手首の返しで変速できるほど短く設定された5速MTのシフト&セレクトストロークや、オフセットのないABCペダル配置などに開発者のこだわりが感じられる造りでした。こうした基本性能に加え、アルミを多用した軽量ボディをマツダ初の4輪ダブルウイッシュボーンサスで支えたシャシ性能でもドライバーを魅了するポテンシャルでした。また当初は、1.6Lの5速MTのみでしたが、1990年に4速ATを追加し、1993年のマイナーチェンジではエンジンが1.8LのBP型に換装され、型式も「NA8C型」に変更されています。
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「トヨタ:セリカ」の最上級グレードの「GT-FOUR」シリーズは、1986年の「ST165型」から始まっていますが、初代モデルではパワーユニットを「3S-GTE型」エンジンとし、水冷インタークーラー+ターボで最高出力185psを誇り、ロック機構付フルタイム4WDによる強烈なトラクションが特徴となっていました。その後、後期型になるとセンターデフとビスカスLSDを組み合わせたフルタイム4WDに進化し、スイッチを切り替えることなくパワーを路面に伝えられるようになりました。
そして、平成元年となる1989年に「ST185型」にフルモデルチェンジされることになり、「3S-GTE型」エンジンはツインエントリーセラミックターボと空冷インタークーラーを採用して、なんと+40psの最高出力225psまでパワーアップされていました。これに合わせてリアデフにトルセンLSDを日本初採用していました。初代モデルの「ST165型」を上回る強烈なトラクションの制御が可能になり、アクセルワークで車両姿勢を自在にコントロールできるようになっていました。この「ST185型」は、WRCに挑戦し1992~94年の3年連続ドライバーズチャンピオン獲得という輝かしい結果を残しています。
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初代モデルの「AW11型:MR2」は、日本初の量産ミッドシップ、エンジンには名機「4A-G」を搭載しコンパクトなボディと相まってジムカーナなどのモータースポーツで活躍しました。そして、2代目モデルとなるのが「SW20型:MR2」です。ボディは全長を220mm長く、全幅を30mm幅広くしたのに合わせ、エンジンを2Lの「3S-G型」エンジンを搭載していました。最上級グレードの「GT」には「ST185型:セリカGT-FOUR」同様のネットで最高出力225psを発生する空冷インタークーラー付きツインエントリーセラミックターボの「3S-GTE型」エンジンが搭載しています。
サスペンションシステムは形式こそ「AW11型」と同じであるものの、アームの寸法、配置、剛性などが全面変更され、タイヤも前195/60R14(ホイールは6JJ)・後205/60R14(同7JJ)の前後異サイズにして、ハンドリングとトラクションのバランスがとられました。さらに新機構として、パワーステアリングの油圧ポンプをモーターで駆動する電動油圧式パワステ(EHPS)を採用し、高速走行時は電流をカットしてノンパワー同様の剛性感を得るなど、きめ細かな油圧制御によるナチュラルな操舵感の実現を目指して開発されました。しかし初期モデルは前輪の接地感が乏しく、急激にトラクションが抜けるためコントロールが難しい車へと仕上がっていました。そこで1991年のマイナーチェンジでフロントエアダムの大型化や、タイヤを前195/55・後225/50の15インチにサイズアップしハンドリングの向上とトラクションの確保が図られました。初期モデルから後期モデルへのマイナーチェンジごとにポテンシャルは大幅に向上しています。
「MR2 GT(1989年)」:主要諸元