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2021年度後期放送のNHK「連続テレビ小説」第105作の「カムカムエヴリバディ」。京都、岡山、大阪を舞台に、昭和から令和の3つの時代をラジオ英語講座と共に生きた祖母、母、娘の3世代のヒロインの一世紀(100年)におよぶ家族の物語をハートフルコメディー。その中の「るい編」で登場する「早乙女太一」さん演じる「トミー北沢」の愛車に注目が集まっている旧車「カルマンギア」を調査。
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安子がるいを置いて渡米してから月日が流れ、1962年(昭和37年)に千吉が死去。雉真家では女中の雪衣が勇と結婚し息子の昇が誕生していた。雉真家に縛られたくない思いから額の傷の治療を拒否し前髪で隠し続けて18歳になったるいは、千吉の葬儀の日、勇に岡山を離れ一人で生きる決意を語る。るいは大阪でホテルの採用面接に臨むが、幼少期の事故で負った額の傷が原因で面接に失敗。面接会場途上でのアクシデントに対処してくれた竹村平助と妻・和子が営む竹村クリーニング店の住み込み店員になる。ある日一人で店番中に大量の洗濯物を持ち込む青年が来店。呆気に取られて名前を聞き忘れたるいは、彼を「宇宙人」と仮に呼ぶ。その後もるいは彼の名前を聞きそびれるなか、新米弁護士で店の常連客・片桐春彦に誘われ映画デートに出かけるが、偶然額の傷を見られ気まずい雰囲気となりデートを切り上げて立ち去る。そして落ち込みながら入ったジャズ喫茶で、宇宙人と呼んでいた客がトランペットを演奏する姿を目にする。周囲に「ジョー」と愛称される彼から「サッチモちゃん」と呼ばれ気軽に話しかけられたるいは、ジャズ喫茶のオーナーから大口の仕事の依頼を受ける。以来、ジョーと親しくなっていき、やがて彼の本名が「大月錠一郎」と知る。同時に、彼にとって特別な曲である「ルイ・アームストロング」の「On the Sunny Side of the Street」を耳にするようなったるいは、母と過ごした幼い頃の記憶が蘇り複雑な思いを抱くようになる。
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木暮の営むジャズ喫茶「Night and Day」を拠点に活動するミュージシャン。親がクラシック音楽の演奏家で、幼少期から英才教育を受けたエリート。錠一郎をライバル視しており、かつ親友のような存在。ダブルデートにかこつけて「あの二人(錠一郎とるい)は共鳴し合っている。」とベリーを諭す。愛車は旧車の「カルマンギア」。
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「フォルクスワーゲン」社から依頼を受けた「カルマン」社のトップの「ヴィルヘルム・カルマン・ジュニア」は、友人でありイタリアの代表的なカロッツェリアの「ギア」社のオーナーである「ルイジ・セグレ」に相談。最終的に「ギア」社で車両デザインを手がけることになる。「ギア」社がデザインしたボディは、1953年にプロトタイプが完成。エアベントがないスムージングされたフロントノーズにヘッドライトと合わせて盛り上がりを持たせた左右両端、流れようなルーフライン、ふくよかに膨らませたリアフェンダー、なだらかに下がるリアエンジンフードなど、スタイリッシュで流麗な2ドアクーペのスタイリングは、「フォルクスワーゲン」社を十分に納得させるものだった。開発がスタートしシャシーやエンジンなどの主要コンポーネントは開発コストや期間を鑑みて「フォルクスワーゲン・ビートル タイプⅠ」をベースとすることとし、製造は「フォルクスワーゲン」社が担当。ギア・デザインのボディは「カルマン」社が製造を手がけ、シャシーなどとの組み付けも「カルマン」社のオスナブリュック工場で行う旨が決定。1955年8月になると、フォルクスワーゲンブランドの新しい上級パーソナルカーが1956年モデルとして発売。車名はボディのコーチワークを担う「カルマン」社と車両デザインを手がけた「ギア」社のネーミングを組み合わせて「カルマンギア」(タイプ14)となる。「カルマンギア」は、鋼管バックボーンフレームとフロアパンを組み合わせた「フォルクスワーゲン・ビートル タイプⅠ」のプラットフォームフレームをベースに、フロア部やエンジンルームの拡大などを実施した改良版の全鋼製セミモノコックの2ドアクーペボディを採用。ホイールベースは2400mmに設定。懸架機構は前後とも横置きトーションバーでトレーリングアームが吊られる構造で、フロントは上下2段式のダブルトレーリングアーム、リアはシングルトレーリングアームで吊ったスイングアクスルで仕立て、フロントにはスタビライザーを組み込んだ。Y字型に分かれたシャーシー後部にはギアボックスとデファレンシャルを兼ねたトランスアクスルおよびエンジンを搭載し、駆動レイアウトはRRで構成。パワートレインとなるエンジンは、排気量1192cc水平対向4気筒OHVユニットで、パワー&トルクは30hp/7.7kg・mを発生。「フォルクスワーゲン・ビートル タイプⅠ」よりも前後と幅を拡大したエンジンルームには、右側にバッテリーを配置。一方で低くされたエンジンフードの影響で、エアクリーナーはキャブレターの真上ではなくエルボーを使って左サイドに設定した。組み合わせるトランスミッションには、1速がノンシンクロの4速MTをセット。シフトレバーおよび各ペダル類はロッドやワイヤーによってコクピットからリアの動力機構に接続された。スタイリングはプロトタイプを基本的に踏襲するものの、実用性や生産性を踏まえて一部デザイン変更が実施される。フロント部ではノーズ左右に2本のヒゲを配したエアベントを設定。ウィンカーランプ位置はヘッドライト真下に移設する。また、前後バンパーの形状変更やリアエンジンフードへのスリットの組み込みなども行った。さらに、エンブレムとしてフロントノーズに“VW”マーク、リアフードに“KARMANN ghia”、そして右フロントフェンダー後方にカルマンとギアの社章を組み合わせた専用バッジを装着する。内包する2+2のインテリアでは、専用アレンジのインパネにメーター類、脚パイプを省いてローポシジョンとした専用シートなどを採用。ステアリングや灰皿といったパーツは、「フォルクスワーゲン・ビートル タイプⅠ」から流用。1957年9月開催のフランクフルト・ショーではカブリオレを発表し、1958年モデルとして発売。ソフトトップは3層構造で仕立てられ、2カ所のフックでフロントウィンドウフレーム上部に固定。リアウィンドウは「フォルクスワーゲン・ビートル タイプⅠ」のようなガラスではなく、透明な樹脂が内蔵された(1969年7月にガラスに変更)。また、1958年モデルではシリーズ全体の変更として専用品のステアリングやサンバイザーなどの装着、フロントウィンカーの刷新、オルガン式アクセルペダルの採用(従来はローラー式)などを実施。1960年モデル(1959年8月デビュー)になると、内外装の大がかりなマイナーチェンジ。フロント回りではフェンダー形状を変更するとともに、ヘッドライト位置を5cmほどアップ。また、エアベントの拡大およびクロームグリルの装着を行う。リアビューではコンビネーションランプを従来の“角型テール”から大型タイプの“三日月テール”に変更。従来は固定式だったリアクォーターウィンドウは、ポップアウト式に切り替わった。インテリアではステアリング形状が再びタイプⅠと共通化され、運転席のドアパネルにはアームレストを、助手席の足元にはフットレストを装備。さらに、ウィンドウウォッシャーを新たに設定した。翌1961年モデル(1960年8月デビュー)では、1192ccエンジンの圧縮比を6.6から7.0に引き上げ、パワー&トルクが34hp/8.4kg・mへと向上する。また、キャブレターはオートチョークタイプに、燃料タンクは扁平タイプに変更。トランスミッションは4速フルシンクロに進化。1966年モデル(1965年8月デビュー)ではフラット4エンジンの排気量が1285ccとなり、最高出力は40hp、最高速度は128km/hに引き上がる。また、エンジンルーム内のバッテリーは左側に、エアクリーナーは右サイドに移設。リアトレッドは1300mmにまで広がった。ほかにも、フロントサスのジョイントの刷新(キングピン式→ボールジョイント式)やサイドミラー取付位置の見直し(フェンダー部→ドア部)、クロームパーツの拡大展開などを実施して魅力度を高めた。1967年モデル(1966年8月デビュー)になるとエンジン排気量が1493ccにまで拡大され、最高出力は44hp、最高速度は136km/hへとアップする。また、フロントブレーキはディスク式に進化。電装系も6Vから12Vへとグレードアップした。さらに1968年モデル(1967年8月デビュー)では、スポルトマチックと称するセミオートマチックを組み込んだ仕様がラインアップに加わる。このセミAT車はタイプⅠのセミAT車と同様、リアの懸架機構にダブルジョイントを採用していた。
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「カムカムエヴリバディ」に登場する「早乙女太一(トミー北沢)」さんの愛車は旧車の「カルマンギア」。ボディカラーはピンク。年式は1958年式。ナンバープレートは「き1031」→北沢トミー。