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現在、世界中で人気となっている日本国産の旧車。今回、注目されているのは「オートモビルカウンシル2021」で見つけられた超貴重な新車同様ともいえる名車「日産・スカイラインGT-R(BNR32型)」。販売するのは国内有数のビンテージカー/旧車販売店である「ヴィンテージ宮田自動車」。実に1989年にデビューしたR32型の「日産・スカイラインGT-R」は平成初期の古いクルマですが、今なお高い人気があり、今なお多くのクルマ好きが憧れる世界レベルの高性能スポーツカーです。当時の新車価格は約500万円でした。
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破竹の49連勝という金字塔を打ち立てスカイライン伝説を築いた「スカイラインGT-R(KPGC10 / PGC10:ハコスカGTR)」、そして「S20型」エンジンを搭載し、「GT-R」のバッジを与えられながらも大きくなったボディ、排ガス規制、「マツダ」のロータリー搭載マシンの台頭などによってモータースポーツへの参戦はおろか、わずか197台ともいわれる生産台数から幻ともいわれた2代目「GT-R(KPGC110:ケンメリGTR)」のあと、「GT-R」登場の噂はあっても実現しないまま時代は過ぎてしまっていました。その間、スカイラインは「ターボ」の搭載、「DOHC」の熟成、サスペンションシステムなど電子制御の精度向上などによって「GT-R」の復活に向けてことを進めていました。そして、「昭和」が終わった1989年(平成元年)に8代目の「スカイライン」へのモデルチェンジとともに、3代目「GT-R(BNR32)」が登場しました。「ATTESA E-TS」、「Super HICAS」といった当時の最新デバイスに加え、エンジンに専用設計された「RB26DETT型」を搭載していることに加えて、「R32 GT-R」は、「日産・フェアレディZ(Z32型)」、「インフィニティ・Q45(G50型)」とともに、日本初の300PS車としてトリオで発売される予定でした。しかし、当時の諸事情により実施された自動車馬力規制により、いずれも日本向けは280PSとされてのデビューとなっていました。
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そして、今回の奇跡の車両は1995(平成7)年モデル。次のR33型の「日産・スカイラインGT-R」が1995年1月登場、R32型の「日産・スカイラインGT-R」は1993年のR33型スカイライン登場後もしばらくは(1994年10月ごろまで)継続販売されたと記録にありますが、この個体はR32型生産終了直前のほぼ最終版とのことです。
コンディションはほぼ新品「フルオリジナル」の極上。走行距離はたったの1800キロです。わずかに走行してはいますが、ガンメタのボディーはキズ・くすみなくツヤッツヤピカピカ。ポテンザ RE71(新車時純正装着タイヤ)、純正アルミホイール、ハンドルや内装まで新車当時のコンディションをほぼ保っています。
「確かに高額ですが、ここまで良好の個体はもうめったなことでは出てこないでしょうね……。通称:25年ルールで海外需要も含めて急増していますが、やはり当店としては投機や転売目的などではなく、乗りたい・この車種でなければという日本の旧車好き・ファンの方に楽しく乗ってもらいたいですね」と説明員の方はコメントしています。
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新車同様の「日産・スカイラインGT-R(R32型)」の発見も注目が集まるところですが、「オートモビルカウンシル2021」の今回のスペシャル展示は、ラリー史に残る日本のラリーマシン。このスペシャル展示も注目です。
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日本に真の意味でスポーツセダンを根付かせた立役者がP510型ブルーバードだった。SSSはスーパースポーツセダンの略。1.6ℓSOHC ツインキャブ4気筒、ストラット/セミトレーリングアームの4輪独立懸架は当時としては異例に高度な設計で、「技術の日産」の面目躍如だった。
1970年東アフリカ・サファリラリーは、スタート8時間後から激しい雨に見舞われ、最悪のコンディションとなったが、泥沼と洪水の中ワークスブルーバードは逆に活気づき、総合1、2、4位でフィニッシュ。オーバーオール・ウィンに加えクラス/チームの3冠完全制覇を日本車として初めて達成した。今回展示されるのは、総距離5432km、全区間を通じてのアベレージが98.7km/hと高速に設定されたそのサファリラリーのフィニッシュラインに真っ先に駆け込んできたウイニングカーそのものである。
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サファリラリーで大活躍したフェアレディZは、雪と氷のモンテカルロラリーでも好成績を残した。FFのミニやシトロエンDS、RRのポルシェ911やアルピーヌA110が活躍し、FRは不利と言われていた時代。名手ラウノ・アールトネン/ジャン・トッド組によって72年の同イベントで、ジェラール・ラルース操るポルシェ911を激しく追い上げ、3位に入賞したのがこの240Zである。
SOHC 直6 2.4は220ps/7200rpmを発揮する。ニッサンの、ひいては日本車の高性能イメージを世界に轟かせた傑作といえる。ちなみにアールトネンは誰よりもテールを大きくスライドさせたドライビングを見せたが、ボディにかすり傷ひとつ負わせることなくフィニッシュし、Zのハンドリングの素直さを証明してみせたという。
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510ブルーバードや240Zの影に隠れて目立ちづらいが、79年から82年にかけて、サファリラリーで史上初の4連覇という偉業を達成したのがバイオレットGTだった。優勝クルーはいずれもシェカー・メッタ/マイク・ダウティ組。展示車は82年の総合優勝マシーンで、グループ4チューンの直列4気筒DOHC4バルブエンジンは230ps/245Nmを生んだ。
とはいえ順風満帆に過酷なラリーを走り切ったわけではなく、リアアクスルを何度も破損しながら、激しく追い上げるオペルのアールトネン、そしてロール操るオペル・アスコナ・デュオをなんとか振り切って得た勝利だった。特にアールトネンは前年ダットサンチームに属し、チームメイトのメッタと最後まで首位争いを演じた因縁のライバル。まさに死闘と呼ぶに相応しい戦いだった。
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S110型3代目シルビアをベースに、ニッサンが生んだグループBモンスターがこの240RSだ。WRCデビューは1983年モンテカルロ。FJ24型直列4気筒DOHC 2340ccエンジンは、NA故275ps過ぎず、スーパーチャージャーで武装し、同ラリーを制したランチア・ラリー037の305psには及ばなかったが、“エクストラドライ”と称されたコンディションにも助けられ、FRレイアウトというコンベンショナルな設計であるにも関わらず、韋駄天サロネンのドライブで総合14位に食い込むという侮り難い実力を見せた。
実際同年のニュージーランド・ラリーでは2位、85年のサファリでは3位に入賞する等、ポテンシャルは高かった。今回の展示車は日産名車再生クラブにより、モンテデビュー時の姿にレストアされたレプリカである。
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ボクサー4気筒エンジンとフルタイム4WD。スバルが長く培ってきたコア技術で、一時期WRCを席巻していたのがインプレッサだ。今回展示されるのは98年のサンレモラリー出場車。
コリン・マクレー、ピエロ・リアッティに託されたワークスカーが2位、3位に入賞した際の1台だ。この年マクレーは第4戦ポルトガル、第6戦ツール・ド・コルス、第8戦アクロポリスで勝ち、ドライバーズ/メイクス両選手権をリードしたものの、その後ランサー・エボリューションを駆るマキネンに3連勝を許し、前年まで3年連続で守ってきたマニュファクチュアラーズ・タイトルの防衛を逃した。とはいえ最終戦では電子制御セミATを導入する等、次シーズンに向けた開発に用いられたことも事実だった。
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2005年以来勝利から遠ざかっていたスバルが、希望を託して2008年シーズン途中のアクロポリスから投入したのがS14というコードネームで呼ばれたハッチバックのインプレッサ・ワールドラリーカーだ。エンジン以外はすべて刷新されたといって良く、大型化されたボディはダウンフォースを向上させコーナリングスピードの増加に寄与、ロングホイールベース化はスタビリティ改善に結びついた。トランスミッションもサスペンションも新設計。
S12B型で悩まされ続けたダンパーにも大幅な改良が施された。その甲斐あってエースのペター・ソルベルクはS14のデビュー戦でいきなり2位に入賞。1年ぶりに表彰台に立ったほか、クリス・アトキンソンは最終日に最速ステージタイムを記録する等、高い戦闘力をいきなり見せつけた。