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【ル・マン24時間耐久レース】日本メーカー参戦マシンを振り返る
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世界三大レースといわれる「ル・マン24時間耐久レース」は、1971年に公開された『栄光のル・マン』によって、特に日本国内で知名度が急上昇しました。「F1GP モナコGP」や「インディ500マイル」とともに世界三大レースとも評されるようになった「ル・マン24時間耐久レース」は、1923年に第1回大会が開催された、スポーツカーレースの中でも屈指のクラシックイベントです。今や日本メーカーがこぞって参戦を試みるようになりました。では、これまでに日本国産のどのようなマシンたちが「ル・マン24時間耐久レース」に挑戦してきたのでしょう。いくらか振り返ってみましょう。
「トムスと童夢が火をつけたトヨタ自動車のル・マン参戦への道」
「1994年:Toyota 94C-V & 1988年:Toyota 88C」
- (出典:webcartop)
「トヨタ自動車」のル・マン・プロジェクトは、「童夢」とジョイントして1980年に初参戦していた「トムス」の支援から始まりました。1985年にはエンジンを供給することになり、そして1987年からはトヨタ・チーム・トムスとしてエントリーしました。さらに1988年からは国産として初のカーボンモノコックを持ったマシンを投入、エンジンも新開発の3.2リッターV8ツインターボが搭載されていました。ここから全開で総合優勝を狙っていった「トヨタ自動車」だしたが、やはり優勝への道のりは険しいものでした。「Toyota 94C-V」がプライベートに託された1994年シーズンも終盤までトップを争っていながらあと一歩及ばず2位で終えたのでした。「#1」のマシンは「Toyota 94C-V」です。「#38」のマシンは「Toyota 88C」です。
- (出典:webcartop)
「カテゴリー1(NA3.500ccエンジン)にもトヨタは力を注いだ」
「1992年:Toyota TS-010 Le Mans & 1993年:Toyota TS-010 Le Mans」
- (出典:webcartop)
1991年からグループCの規定が様変わりした。新たに設けられたカテゴリー1=エンジンは3.5リッターの自然吸気のみ、が主流となり、これまでのターボ・エンジンでは全く歯が立たなくなってしまうというレギュレーションに変更されたのでした。そこで「トヨタ自動車」は、前年までのターボ車をプライベートに託し、ワークスは新エンジンを開発するところから再スタートを切ったのでした。こうして用意された新型車両が「Toyota TS010」です。1991年シーズンの最終戦にスポット参戦し、1992年からはフル参戦していました。その1992年シーズンの開幕戦で幸先よく勝ったものの、その後は苦戦してしまいます。「ル・マン24時間耐久レース」も1992年に2位、1993年は4位に留まってしまったのでした。「#33」のマシンは1992年仕様の「Toyota TS010」です。「#38」のマシンは1993年仕様の「Toyota TS010」です。
- (出典:webcartop)
「日本車初のポールポジションの日産」
- (出典:webcartop)
「1986年:Nissan R85V Gr.C Type R85V/March 85G・Nissan VG30 ’86 Le Mans 24h-Spec.」
実に1960年代の日本GPに向けて「R380」シリーズを開発しているころから、「日産自動車」の開発者は「ル・マン24時間耐久レース」参戦を目指していました。それが実現したのは1980年代になって、国内でグループCによる耐久レースが盛んになった頃だったのです。シルエットフォーミュラで戦いながらエンジン開発を続けてきた「日産自動車」は、1985年シーズンに向けてマーチとローラからグループC用の市販シャシーを買い、市販車ベースの「VG30」型エンジンを搭載して、本格的にグループCを戦うことになりました。そして1986年の「ル・マン24時間耐久レース」にも初参戦しています。長谷見昌弘組が16位完走を果たしています。
「1989年:Nissan R89C & 1990_Nissan R90CK/Lola・Nissan VRH35Z ’90 Le Mans 24h-Spec.」
- (出典:webcartop)
その後、「日産自動車」のル・マン・プロジェクトは、1989年に大躍進を遂げることとなります。1988年にはアルミモノコックのマーチを使用していていましたが、1989年からはパートナーをローラに替え、カーボンモノコックのシャシーを共同開発する手法をとりました。そして、完成した「Nissan R89C」で世界(WSPC)と全日本(JSPC)、2つのシリーズを戦ってデータを蓄え、いよいよ勝負の1990年を迎え、準備を整えます。こうして始まった1990年シーズン、引き続きWSPCとJSPCを戦いながら準備を進め、計7台の大所帯で「ル・マン24時間耐久レース」に臨むことになりました。そしてWSPCを戦う「Nissan R90CK」が狙い通りのポールを奪ったが決勝ではトラブルの連続で5位に留まりました。「#24」のマシンが「Nissan R89C」です。
「初優勝を果たしたマツダ」
- (出典:webcartop)
「1991年:Mazda 787B & 1985年:Mazda 737C」
「マツダオート東京 / マツダスピード」が1979年から参戦を開始すると「マツダ」は、それをサポートする格好で「ル・マン24時間耐久レース」と関わってきました。「マツダ」としての初挑戦は1986年となります。前年にマツダスピードが使用した「Mazda 737C」まではC2クラスだったのが、この年からは総合優勝を争うC1クラス…車両としてはIMSA-GTPクラスのマシンでエンジンも初めて3ローターが投入されています。その後もマシンをアップデートしながら挑戦を続けたマツダは着実にポテンシャルを引き上げていきました。そしてロータリーエンジンの参加はこの年限りとされた1991年、「Mazda 787B」で悲願の初優勝を遂げています。「#55」のチャージカラーのマシンは「Mazda 787B」です。
- (出典:webcartop)
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