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シルエットフォーミュラ(Gr.5)レースの後に多くのモータースポーツファンを沸かせた「グループAレース」。基本的に量産ツーリングカーという身近なクルマが主役となり速さを競った仕様でそれゆえに人気となっていました。ただ、国内グループAレースの黎明期は「黒船来航」と言われるほど、「ボルボ」や「BMW」、「フォード・シエラ」など海外勢の速さが目立ったのでした。そのような状況で奮闘していた国産のグループA仕様のマシンたち。その一台が「三菱:スタリオン」でした。
「三菱:スタリオン」は1982年に誕生した、リトラクタブルライトを備えたスポーツカー風のルックスを持つスペシャルティーカーでした。当時三菱が推進していたフルラインターボのイメージリーダーで、自然吸気エンジン搭載車も存在したが、主力はターボエンジン搭載のGSRシリーズでした。搭載されていたパワーユニットは三菱自慢のサイレントシャフト付きのG63Bターボエンジンで、2リッター直列4気筒 SOHCターボで最高出力145ps/5500rpm、最大トルク22.0kgm/3000rpmを発生させていました。組み合わされるトランスミッションは、5段MTまたは4段ATで、自動車専門誌のテストでは5段MT仕様が最高速度192km/h、0-400m加速16.8秒を記録しています。1983年に、日本車の市販車で初の空冷式インタークーラーターボを装備するモデル、可変バルブ機構式3バルブヘッド搭載 インタークーラーターボ付エンジン( G63B型)通称「シリウスDASH3×2」と呼ばれるエンジンが追加され、新グレード「GSR-V」に搭載されました。スペックは、最高出力が200PS/6,000rpm、最大トルク28,5kgm/3,500rpmを発生し、200PSを超えるハイパワーエンジンでした。「シリウスDASH3×2」エンジンを搭載したモデルは「2000GSR-V」、3ナンバーサイズとなるブリスターフェンダーを採用したモデルは「2000GSR-VR」、そして「2000GSR-VR」のボディに初代「デボネア」に搭載されていたサイレントシャフト付き2,600ccのG54B型にインタークーラーターボを装着した2バルブエンジン(シリウスDASH3×2ではない)を搭載した「2600GSR-VR」が追加モデルとなりました。また数あるグレードの中で、「シリウスDASH3×2」の2Lターボを搭載したワイドボディの「2000GSR-VR」は、50台の限定車で、超希少車として都市伝説になるほどでした。新車時価格は253万円~312万5000円となっています。
1985年のインターTEC。速さを見せていた「ボルボ・240ターボ」や「BMW・635CSi」に対抗した「三菱:スタリオン」。グループA仕様の「三菱:スタリオン」は、英国グループA選手権(BTCC)で経験を積んでいました。
というのも1983年から参戦を開始し、1985年には優勝を含めて多数の入賞を果たしています。同年のヨーロッパツーリングカー選手権(ETC)のシルバーストンでは予選トップ、決勝は5位のリザルトも残していたのでした。凱旋帰国のカタチとなった1985年のインターTECでは予選から速さを見せつけることになりました。決勝ではM・リュー/中谷明彦組が日本車勢最高位の4位に入賞。
翌1986年からは高橋国光/中谷明彦の強力コンビが全日本ツーリングカー選手権(JTC)に参戦。1986年のインターテックでは、TWR率いる「ジャガーXJ-S」に継ぐ予選2位など随所に速さを見せつけました。
実はグループA仕様のエンジンもベースはノーマルと同じ2L直4SOHCターボでした。チューニングやメンテナンスはHKSが担当し公称出力250ps〜270psを発生させていました。パワーを上げることに伴う発熱の問題は、インタークーラーの効率見直しや、ラジエターの大型化などで対処。サスペンションは、グループA規定ということもありノーマルのストラット形式を継承しているものの、国内仕様は英国仕様よりサスペンションストロークを多く取り、スプリング、スタビライザーなどもソフトなセッティングにしていたということです。
スタリオンは高橋/中谷コンビで1986年から1988年までの3シーズンに渡り全日本ツーリングカー選手権に参戦し3勝を上げましたが、ライバルの台頭もありその年で撤退しました。なお、国内外のレースおよびラリーにグループA仕様のワークスマシンが参戦しており、国内最高峰の全日本ツーリングカー選手権では上述の通り通算3勝を挙げています。