【BHオークション】ランチャ・ストラトス・グループ4のスペック
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「ランチャ・ストラトス」は、最初からWRC=世界ラリー選手権への参加を目的に開発されたモデル。それまで「ランチャ・フルビア」でWRCを戦ってきた「ランチア」社でしたが、1970年代も半ばを迎える頃になると「ランチア・フルビア」や、「フィアット124アバルト・スパイダー」といったイタリアマシンは、「アルピーヌ」や「フォード」といったライバルの戦闘力が向上してきたために勝利することが難しくなっていた。そのため「ランチア」社は、ラリー・スペシャルとして連続する12ヵ月間に400台の生産が条件となるグループ4への公認を狙った「ストラトス」の開発を進めていたのです。そのため12ヵ月間に5000台を生産することで得られるGTの公認を得て、ここから400台のラリー・スペシャルを生産。グループ4の公認を得るというオーソドックスな方法を選択しようと試みるものの、それだけの時間がなかったため一気に400台を生産してグループ4の公認を得る作戦を「ランチア」は選択。
そして「ランチア・ストラトス」のプロトタイプは、テストを兼ねて1972年秋のツールド・コルスから実戦に投入。もちろんグループ4の公認はまだ取得できていないため、これは「ランチャ・フルビア」から「ストラトス」へとWRCマシンを切り替えるための、名目上はテストであったと考えられています。その後、実際に「ストラトス」のロードモデルが発売されたのは1974年。WRCのプロトタイプクラスにエントリーした時には、装着されないことも多かったルーフとリアのスポイラーも、プロダクションモデルでは、装備し、極端にホイールベースが短く(2180mm)、カウルは前後とも一体でオープン&クローズが可能というエクステリアデザインでした。リアカウルをオープンすると、強靭なサブフレームの中にマウントされる、フェラーリ製の排気量:2418cc、V型6気筒DOHCエンジンが搭載されています。このエンジンにはウェーバー製のキャブレターが組み合わされ、ロードモデルでも190psの最高出力を発揮。ちなみにこれは、同エンジンを搭載した「ディーノ246GT」のそれよりも、わずかに5psほど低い設定でした。ストラット形式のサスペンションシステムなどサービス性の高さも相当に考えられた設計となっています。「ランチア」社が待ち望んだグループ4の公認は、1974年の10月1日にFIAから降りることになりました。ラリー・スペシャルマシンといえる「ランチャ・ストラトス」の速さは、まさに圧巻というべきもので、1975年シーズンから正式にWRCに参戦した「ランチャ・ストラトス」は、開幕戦のモンテカルロに勝利すると、1975年、1976年、1977年と、この世界選手権を制覇します。1977年からは親会社である「フィアット」社が、「フィアット・131アバルト・ラリー」でWRC参戦をスタートさせた関係から、「ランチア」社は1978年で「ストラトス」でのWRCを撤退。こうして強烈なラリーフィールドでの活躍を残し伝説のマシンなっていきました。
Table of Contents
「ランチャ・ストラトス」:スペック
- 全長×全幅×全高:3710×1750×1110mm
- ホイールベース:2180mm
- 重量:888kg
- エンジン:V6 DOHC
- 排気量:2418cc
- 最高出力:190ps/7000rpm
- 最大トルク:23.0kgm/4000rpm
- トランスミッション:5速MT
- 駆動方式:横置きミッドシップRWD
「BHオークション:ランチア・ストラトス」:スペック詳細
「ランチア・ストラトス」はWRC(世界ラリー選 手権)参戦を目的としたグループ4マシンとして開発、生産された市販スポーツカーである。
ストラトスは、もともと1970年のトリノ・ ショーでベルトーネがランチア・フルヴィア HFのコンポーネンツを流用して製作したミッドシップカーのデザインスタディに付けられた名前だった。
アルピーヌA110の前に苦戦を強いられていたフルヴィアHFに代わるワンオフのラリーマシンを模索していたランチア・コルセのチェーザレ・フィオリオが、その可能性に注目。ランチア、ベルトーネ双方に働きかけた結果、前代未聞のラリー専用車のプロジェクトが始動することとなった。
その際ドライバー、開発陣から上がったのは、車重1000kg以下、エンジン出力300hp以上、2シーター、ミッドシップ、強化プラスティックまたはアルミの軽量ボディ、そして可能な限り短いホイールベースという、当時の常識を逸するコンセプトであった。
それらを実現するためにマルチェロ・ガン ディーニ、ジャンニ・トッティ、ニコラ・マテラッツィ、マイク・パークス、ジャンパオ ロ・ダラーラといった錚々たる技術陣が集結。 早くも1971年のトリノ・ショーでストラトス HFプロトタイプが発表されている。
エンジンに関してもランチアの最高経営責任者であるピエルーゴ・ゴッバートがジャンニ・アニエッリ、エンツォ・フェラーリへ働きかけた結果、グループ4のホモロゲに必要な500台分のフェラーリ・ディーノV6ユニットの供給も決まり、1972年11月のトゥール・ ド・コルスでコンペティション・デビューを果たしている。
その後生産化が遅々として進まなかったが、400台へと生産台数が緩和されたグループ4のホモロゲーションを1974年の開幕直前に取得し、WRCへのワークス参戦を開始。以降、“ストラトス劇場”とまでいわれた圧倒的な強さを発揮し、1974年、75年、76年と3年 連続でWRCタイトルを獲得した。しかしながら親会社フィアットの意向により1977年から活動を縮小。1978年をもってWRCにおけ るストラトスのワークス活動は終了することとなる。
出品車は1975年6月12日にトリノのランチアS.p.A.名義で登録されたストラダーレ( シャシーナンバー:829ARO 001923:以下 #1923)で、登録時のライセンスプレートは M 38442 TOであった。
その後1977年にランチアからトリノの自動車販売店Salone Auto rivoli へと売却。個人オーナーの手に渡っている。 1987年4月、アパレルブランド“クリスティアーノ・フィッソーレ”の創業者であるクリスティアーノ・フィッソーレが#1923を購 入。
ジェノバでレース活動を行なっている University Motorsで、トリノのストラトス・ スペシャルショップなどから入手したパーツを使用しグループ4仕様へのコンバートを行なっている。
2003年に#1923はドイツ・エンスドルフでフィアット&ランチアの代理店を行なっているストラトスのスペシャルショップ Autohaus Sparwaldへと売却。
その際に、 機関部分の大々的なメンテナンスが行われ、オーナーとなるイギリス人のロバート・ホワイトハウスのリクエストでボディカラーが、オリジナルのブルーからアリタリア・カラーへと変更された。
イギリスに#1923を持ち帰ったホワイトハウスは、ヒストリック・ラリーに出場するため、 イギリスMSA(現 Motorsport UK)でFIA HTPペーパーを申請し取得。いくつかのイベントに出走している。2006年頃に日本に輸入された#1923は、1976年シーズンのワークスカーに合わせてボディのリファインが行わ れ、素晴らしいコンディションに仕上げられ た。この#1923にはランチアの製造証明書も付属しており、シャシーと搭載されているエ ンジンナンバー(829ARO)とがマッチングナンバーであることも証明されている。
「落札価格」
価格:7100万円
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