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「ハコスカ」以来の「GT-R」の復活、グループAでの活躍など数多くのエピソードから伝説的な存在となった先代モデルの「R32型・GT-R」のDNAを引き継ぐ重責を担ってデビューした「R33型・GT-R」は、1993年8月に「R33型:スカイライン」が発表された直後の第30回東京モーターショーでプロトタイプが発表された後、1995年の第13回東京オートサロンで発表するという当時の市販車としては初めての挑戦から始まりました。
特筆すべきは、「究極のドライビングプレジャー」というコンセプト通りのもので、本格的にニュルブルクリンクでのテストドライブが重視されました。そして実際に「BCNR33:GT-R」のプロトタイプモデル(シャシーNo.000055、ニュルブルクリンクのタイムトライアルに使用するためアルミ製ロールバーが装着)が「7分59秒887」のタイムを記録し先代モデルの「BNR32型」に対してのタイム差は21秒も更新しました。このことから「マイナス21秒ロマン」のキャッチコピーを掲げ、「GT-R」としては初の単体でのテレビCMを展開していました。
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これほどのタイムの短縮にはシャーシ性能のさらなる向上を挙げることができます。「R32型:GT-R」においては開発時からデビュー、そしてモデル終了に至るまで打ち消すことができなかったアンダーステアでしたが、「R33型:GT-R」では前後重量バランスを改善することで解決に向かいました。
比較してみるとフロント59.4:リヤ40.6と、フロントヘビーだった「R32型:GT-R」の前後重量バランスに対し、「R33型:GT-R」では、ホイールベースを105mm延長し(全長は+130mm)、燃料タンクをリヤシート下に配置、バッテリーもトランクに移設し、インタークーラーも軽量化しています。これらの改良で、「R33型:GT-R」の重量バランスを、フロント57.5:リヤ42.5まで適正化し、本質的な部分でニュートラスステアに近づけていました。そして、「R32型:GT-R」のタイヤサイズと比較すると、「R33型:GT-R」のタイヤサイズは、「R32型:GT-R VスペックⅡ」と同じサイズの245/45-17となっています。しかも、「R33型:GT-R」専用に開発されたポテンザのタイヤパフォーマンスは非常に高く、そのグリップ力を受け止めるために、ボディにはベース車に対し30カ所以上もの補強を追加しているのです。またパワーユニットは「RB26DETT」型でエンジンパワーは「R32型:GT-R」と同じで、国内自主規制上限の280馬力だったにもかかわらず、過給圧は「R32型:GT-R」の0.78kgf/cm2から、0.84kgf/cm2へと、0.06kgf/cm2のブーストアップが図られています。コンピュータもそれまでの8ビットから16ビットと処理能力が向上し、レスポンスがアップしており、最大トルクは、1.5㎏-m増えて、37.5㎏になっています。
そしてボディのねじれ剛性は「R32型:GT-R」より44%もアップして、国産スポーツカー史上最強のボディを誇る一台となっていました。また電子制御については、「スーパーHICAS(4WS=四輪操舵)」がさらに洗練され、「Vスペック」には「電子制御LSD=アクティブLSD」も投入されていました。「アテーサE-TS」と合わせ、ハイテク4WD車としても、世界最先端の制御技術を武器にしていたのでした。これらの技術的進歩により、ドイツのニュルブルクリンクのテストでは、アクセルの全開時間が「R32型:GT-R」よりも、15~20%も増しているというデータが出ていました。これにはホイールベースの延長(105mm)による直進性や制動時のスタビリティの向上も、大きく貢献していたとされています。また空力面でも、角度調整機構付リヤスポイラーを採用し、空気抵抗係数Cd値も「R32型:GT-R」の0.40に対し、0.35とロードラッグ化に成功しています。リフトフォースもさらに減って、前後の空力バランスも適正化がすすめられていました。先のロングホイールベース化に加え、このエアロダイナミクスのアドバンテージによって、高速安定性にも優れ、空気抵抗が少ない分、最高速も伸びる強味も持っていた。総生産台数は、「R32型:GT-R」からすると半数にも満たない、16,520台、1998年に生産終了しています。
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日本を代表するチューニングメーカーであるHKSは、第二世代のスカイラインGT-Rのチ ューニングに対する情熱・実力・実績共に、誰もが超一級と認める存在である。BNR32 GT-Rでは1992年よりJTC(全日本ツーリングカー選手権/グループA)に参戦。
エンジンはメーカー・ワークスでのメンテナンスが基本とされた中、唯一自社メンテナンスで参戦し、1993年にはプライベーターながらポールポジションを2度獲得。
第3戦菅生では優勝を遂げる好成績を残したほか、1993年には「RUFやアルピナといった欧州のチューンド・コンプリートカーに負けないBNR32を!」というコンセプトを掲げ、RB26DETTを2688ccまでスープアップし、重量バランスを考慮して燃料タンクをリヤシート部分に移して2シーター化した「ZERO-R」を発表。
空力特性に優れた形状の専用エアロボディを開発し、アウトバーンやニュルブルクリンクでのテストを繰り返した結果、“余裕で 300km/h巡行”が可能なコンプリートBNR32を世に送り出している。
そんな“第二世代GT-Rチューニングのスペ シャリスト”であるHKSが、“最速のBCNR33” というコンセプトで1995年に製作したレコードブレーカーが、この“T-002”である。
T-002の最初のレコードブレークのターゲットは筑波サーキット・コース2000でのラップタイムにおける“1分切り”だった。
1995年1月に車体番号「BCNR33-001275」を持つベース車が納車されると、そこから6月までの半年間でマシン開発の初期段階を終わらせ、気温が下がりサーキットタイムが伸びやすい冬場になるとタイムアタックが実施された。
そして、1995年末に松田秀士のドライブにより、当時では驚異的ともいえる“58秒715” というラップタイムをマーク。日本のみならず世界中のGT-Rチューナーを震撼させている。
サー キット最速仕様から最高速仕様へとアップデ ートが進められ、何度かトラブルを経たのち1996年の年末に行われたアタック(アタッカ ーは稲田大二郎)で目標だった“20秒切り”を大幅に上回る“17秒64”をマーク。偉業とも言 える速さを見せつけ“GT-RのHKS”の名を不動 のものとしている。
なお当時のアタックマシンのスペックは HKS GT3037タービンを2基掛けした2.7リッ ター/920ps/84kgmというものだった。
出品車は歴史的な最速記録を2度も打ち立てたT-002そのものであるが、2019年の東京オートサロン・HKSブースへの出展に合わせ て、大幅なレストア&アップデートが図られ ている。
エクステリア&インテリア共により現代的な雰囲気へと作り変えられたほか、エンジンは新品の状態でデッドストックされていたRB26DETTを搭載。レコードブレーカー 時代のエンジンはアタック仕様で最高速アタ ック1発でほぼライフが終わっているため、 現状はノーマルエンジンを搭載する形が取られている。
GTIII 5Rタービン他、HKS厳選の チューニングパーツが多数取り付けられた “ショーカー ”として機能しているが、オークション落札者の希望があれば“筑波58秒”スペ ックと同等にエンジンチューニング(別途費 用)が可能とのことである。
歴史に名を刻んだ“最速レコードブレーカ ー ”を新たに自分色へと染め上げることのできる、これはまたとないチャンスである。
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落札価格:1100万円