【フォルクスワーゲン・タイプI】ビートル初期型のVW39の軌跡

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【フォルクスワーゲン・タイプI】ビートル初期型のVW39の軌跡

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自動車史上に残る世界的な名車「フォルクスワーゲン・タイプI(ビートル)」。その中でも特別モデルの「フォルクスワーゲン・タイプⅠ(ビートル)」とそのモデルについてのヒストリーが注目されています。ルーツをたどってみると「フォルクスワーゲン・タイプⅠ(ビートル)」はポルシェ創立者である、「フェルディナント・ポルシェ」氏の設計ですが、これには1933年当時、ヒトラーが「フェルディナント・ポルシェ」に依頼して行われたものでした。当時ヒトラーは「高速道路の距離が国の力を決める」「国民一人ひとりにクルマを」といった信念を持っており、「フェルディナント・ポルシェ」もクルマの普及を自身の目標としていたために手を組んだ、と言われています。そこで1937年に設立されたのが国営企業(当時)としての「フォルクスワーゲン」ですが、これは「フォルクス(人民の)」、「ワーゲン(クルマ)」という意味となっていて、直訳するならば「国民車」ということになります。

※現在のフォルクスワーゲンはこの名称や生産設備を引き継いでいるということです。

そして「フェルディナント・ポルシェ」は「小型で効率の良い」クルマを好んでいたためにリアエンジン、4人乗りというレイアウトを「フォルクスワーゲン・タイプⅠ(ビートル)」に採用しました。またヒトラーが「フェルディナント・ポルシェ」に出した注文は次の通りとなっているようです。「頑丈で長期間大きな修繕を必要とせず、維持費が低廉であること」、「標準的な家族である大人2人と子供3人が乗車可能なこと(すなわち、成人であれば4人乗車可能な仕様である)」、「連続巡航速度100km/h以上」、「7リッターの燃料で100kmの走行が可能である(=1Lあたりの燃費が14.3km以上である)こと」、「空冷エンジンの採用」、「流線型ボディの採用」というもの。これは、興味深いことにヒトラーは自動車について知識を十分取り入れていたと言われており、空冷エンジンを選択したのもメンテナンスの容易さや構造のシンプルさ、そしてラジエター液が凍ったり、不凍液が手に入らない環境下でもちゃんと機能することを考慮した、とも言われています。

今回の「フォルクスワーゲン・タイプⅠ(ビートル)」については、これは1939年に製造されたプロトタイプ「VW39」唯一の生き残り(プロトタイプには「VW38」も存在。実際のタイプⅠの大量生産は1941年から)といわれている個体です。そして「VW39」について、「フェルディナント・ポルシェ」、そして息子の「フェリー・ポルシェ」は「VW38」よりも「速いクルマ」にしようと、1938年に制作した「フォルクスワーゲン・ベルリンローマ速度記録車」に搭載される「タイプ64」エンジンを「VW39」プロトタイプに搭載しようと計画しました。この「フォルクスワーゲン・ベルリンローマ速度記録車」は「VW38」をベースとしており、「ポルシェ64」もしくは「60K10」として知られていますが、これはベースこそ「VW38」であるものの、ポルシェ父子がエンジンや車体に徹底的に手を入れた個体でした。

最高出力が32馬力から40馬力へと出力が引き上げられ、重量は695kgという軽量性、流線型ボディによって、当寺としては驚異的とも言える最高速度は145キロをマークしています。そしてポルシェ父子は「VW39」の制作に取り掛かり、もともとの予定では50台を生産する予定であったものの(VW38は58台が製造されている)、折悪しく勃発した第二次世界大戦の影響によって「VW39」は14台のみの生産にとどまることになりました。

そして戦争が終わる頃には14台のうち13台が失われ(どう失われたのかはわからないということです)、そして生き残っていたのがこの「シャシーナンバー1-00003」のみという状況になっているようです。

そして戦争が終わって数年が経過した1948年、この「VW39」は「ひどい状態で」コレクターに売却され、その後に「ハンブルク・プロトタイプ・ミュージアム」運営者である「トーマス・ケーニッヒ」氏と「オリバー・シュミット」氏の手に渡っています。

そして3年をかけてこの「VW39」はレストアされて当時と同じ姿に復元されていますが、この「VW39」は「ポルシェ父子が当時作りたかったクルマ」であり、そのエンジンもポルシェ父子のキモ入りだと言ってよく、つまり「形はビートルなれど中身はポルシェ」という個体なのです。

なお、「フェルディナント・ポルシェ」は戦後に「ヒトラーに協力したカドで」戦犯として逮捕され、1947年まで収監されることになりました。その後息子である「フェリー・ポルシェ」らの尽力によって釈放されますが、釈放された直後に「フォルクスワーゲンの工場に寄るように」息子に指示し、そこで続々とラインオフして出荷される「フォルクスワーゲン・タイプⅠ(ビートル)」を見て、自身の夢が実現したことに涙したとも伝えられています(フェルディナント・ポルシェはプロトタイプ生産の頃しか知らず、量産化を目にしていない)。

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管理人:CIMASHIMA

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幼い頃に近所にあったDR30スカイラインのスーパーシルエット仕様に衝撃を受けて、車の魅力に取りつかれる。その後、行きつけの駄菓子屋のオバちゃんが910ブルーバードnismoバージョンを購入し車好きが加速。そして、憧れだったDR30を免許取得後に購入し、イジって乗り回すもエンジンブローで最期を迎えてしまう。今となっては思い出となるも旧車やカスタムマシンなど、今も気になるマシンは数知れず。そんな世界の名車やカスタムマシンたちの情報をお届けするブログです。

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