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時折、F1マシンがオークションに出品され話題となりますが、今回は1987年のフェラーリF1マシンがオークションに登場予定とのことです。 この個体は「ミケーレ・アルボレート」氏が当時ドライブした「フェラーリF1/87(F187)」で、「エンツォ・フェラーリ」氏が関与した最後のF1マシン、と言われています(エンツォ・フェラーリは1988年に死去しています)。
パワーユニットとなるエンジンは、1.500ccにターボを装着した、90度V型6気筒エンジンで、リストリクター付きの状態で、最高出力:950ps(予選スペック)、決勝では最高出力:880psを発生するエンジンです。設計したのは「グスタフ・ブルナー」氏、改良を行なったのは天才デザイナーといわれる「ジョン・バーナード」氏が行っています。完全に新設計のマシンとなり、エンジンもそれまでのバンク角120度から90度となって、ギアボックスも縦置きになったマシンでした。今回、オークションへと出品されるのは「シャシーナンバー 100」で、「ミケーレ・アルボレート」氏は、これでハンガリーGP、イタリアGP、オーストラリアGP、ポルトガルGPを走行した車両、とされています(F187自体はシャシーナンバー95から101までとなっています)。
オークションは「Bonhams」によって開催され、予想落札価格は最高で1億円ということです。高額ではあるものの、F1マシンとしてはさほど高い方ではなく、やはり「アイルトン・セナ」、「ミハエル・シューマッハ」のドライブしたマシンに比べると安価なほうでしょう(アイルトン・セナなどのマシンとなると7-8億円)。
このマシンをドライブした「ミケーレ・アルボレート」氏にも注目してみると実に不運なドライバーだったようです。ドライビングテクニックには非常に優れたものを持ち、シフトチェンジスキルは「世界一」と言われたほどのドライバーでした。キャリアとしては、まずF3からF1にステップアップし1981年にティレルよりデビューしています。その後1984年にフェラーリへ移籍することになり、これは「エンツォ・フェラーリに気に入られたため」とも言われます。もちろんこれにはその才能も影響していますが、「イアタリア人であった」ことが大きく関係していたと言われ、実際にフェラーリのF1ドライバーにイタリア人が起用されるのは1973年以来となり、フェラーリファンもこれには熱狂したそうです。ただしこの時期フェラーリはいいF1マシンを作れずに低迷していた時期でもあり、せっかくのスキルを活かせないままに「ミケーレ・アルボレート」はフェラーリを放出され、その後ティレルへ復帰しています。しかし、契約金はゼロで、ウィリアムズとの交渉がうまくゆかずシートを失いそうにもなりましたし、さらにフットワーク、ローラへとどんどん弱小チームへと籍を移すことになっていったドライバーです。時期と運が悪かったとしかいいようのないドライバーだったのが、「ミケーレ・アルボレート」だったのです。なお、「ミケーレ・アルボレート」は2001年のル・マンへ向けたテストを行なっている際に事故死(マシンはアウディR8)してしまいました。44歳の若さでその生涯を閉じています。
新開発のエンジンの信頼性が極めて低く、2台あわせて出走32回中19回のリタイアを喫したマシンです。しかし、後半戦は熟成とともに成績が向上し、ラスト2戦は「ゲルハルト・ベルガー」が連続ポール・トゥ・ウィンで締めくくっています。最終戦は2位でゴールしたロータスの「アイルトン・セナ」が失格となったため、「ミケーレ・アルボレート」が2位に繰り上がり、フェラーリのワンツーフィニッシュとなっています。