【トヨタ2000GT】 SCCAシェルビーMF10-10001

【トヨタ2000GT】 SCCAシェルビーMF10-10001

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「トヨタ・2000GT」といえば、日本が世界に誇る歴史的な名車。その「トヨタ・2000GT」中でも生産一号車シャシーナンバーは「MF10-10001」が「Gooding & Company」のアメリア・アイランド・オークションに出品ということで話題になっていました。そこで今回は、「トヨタ・2000GT」のシャシーナンバー「MF10-10001」に注目です。

 


「トヨタ・2000GTのレーシングヒストリー」

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日本の名車の代表作ともいえる「トヨタ 2000GT」は、1967年の市販車発売の以前より大きな話題となっていました。それもそのはずで、開発の一環としてアメリカのモータースポーツに参戦してもいたのでした。アメリカのレースには、1968年にSCCAクラスCシリーズ(全13戦と最終戦)に参加しています。レースのマネジメントは「キャロル・シェルビー」に委託したものの戦績は、あまりよくなかったようです。というのもライバルは、「ポルシェ・911」、「トライアンフTR」、「ダットサン・SR311」などでした。そういった経緯もあり、「キャロル・シェルビー」はシーズン中に、元レーサーでレーシングモデルの製作にも通じており、「シボレー・コルベット」の開発チーフでもあったGM幹部の「ゾーラ・ダントフ(Zora Arkus Duntov 、1910-1996年)」に極秘アドバイスを求めています。それでも「ゾーラ・ダントフ」によれば、「手を尽くしたものの肝心のエンジンが駄目だったため、性能向上の打開策を得られず、成績挽回には至らなかった」と1995年のインタビューにコメントしています。それでも、1968年のSCCAシリーズにおいて、ワンツー・フィニッシュを3回も飾っています。そして最終戦には各ブロック(トヨタ 2000GT Class C)で勝ち抜いた21台がエントリーし、Dプロダクション・クラスで年間ランキング4位の戦績を残しました。


「1968年:SCCAシリーズ戦(アメリカ)結果」

  • 第1戦:2月25日 ⇒ 2位・4位
  • 第2戦:3月10日 ⇒ 失格
  • 第3戦:3月31日 ⇒ 3位・4位
  • 第4戦:4月21日 ⇒ 1位・2位
  • 第5戦:6月24日 ⇒ 2位
  • 第6戦:7月7日 ⇒ 2位・3位
  • 第7戦:7月21日 ⇒ 3位・5位
  • 第8戦:8月4日 ⇒ 3位
  • 第9戦:8月26日 ⇒ 失格
  • 第10戦:8月31日 ⇒ 1位・2位
  • 第11戦:9月9日 ⇒ 1位・2位
  • 第12戦:9月15日 ⇒ 2位・5位
  • 第13戦:10月13日 ⇒ 2位
  • 最終戦:11月23日 ⇒ 4位
  • ※最終成績=4位
  • ドライバー:デイブ・ジョーダン(23番、シャシーNo.10001)、スクーター・パトリック(33番、シャシーNo.10005)なおシャシーNo.10006は日本国内に戻り、スピードトライアル仕様のレプリカとして作り直されています。このスピードトライアルレプリカの車両は現在、トヨタ博物館で保管されています。シャシーNo.10001およびNo.10005は、アメリカで個人のコレクターが所有しているようです。

「トヨタ 2000GT SCCA」:スペック

  • 【スペック】:ベースモデル
  • 年式:1967年
  • 型式:MF10
  • 全長 × 全幅 × 全高:4,175mm × 1,600mm × 1,160mm
  • ホイールベース:2,330mm
  • トレッド(F/R):1,300mm / 1,300mm
  • 車両重量:1,120kg
  • サスペンションシステム(F/R):ダブルウィッシュボーン
  • ブレーキシステム(F/R):ディスク
  • タイヤ(F/R):165HR15
  • エンジン:3M型 水冷式直列6気筒 DOHC ソレックス型キャブレター ×3
  • ボア × ストローク:75.0mm × 75.0mm
  • 排気量:1,988cc
  • 圧縮比:8.4
  • 最大出力:150ps / 6,600rpm
  • 最大トルク:18.0kgm / 5.000rpm
  • トランスミッション:フロア式5速マニュアル
  • 駆動方式:FR
  • 最高速度:220km/h
  • 0-400m加速:15,9秒
  • 0-100加速:8,6秒

「MF10-10001(SCCA/キャロル・シェルビー)」

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日本の名車「トヨタ・2000GT」。このモデルは、わずか351台しか生産されなかったとされています。そして、アメリカにおよそ60台が輸出されたといわれています。今回、注目されているのは、1967年モデルの「トヨタ・2000GT」でシャシーナンバーは「MF10-10001」。生産第1号車のモデル。もともとはソーラーレッドで仕上げられていた右ハンドルのこの「MF10-10001」は、トヨタ・モーターセールスUSAが2000GTをアメリカで紹介および宣伝するために海を渡った1台。プロモーション活動の任務を終えた「MF10-10001」は、SCCA(スポーツカー・クラブ・オブ・アメリカ)に参戦するため、「キャロル・シェルビー」が率いるシェルビーアメリカンと協力することになりました。SCCA参戦に向けて両社のエンジニアが協力し、この車両の外観や機関のモディファイをおこなったのです。「MF10-10001」は、その短いレースキャリアを終えたのち、何人かのコレクションを経て1980年に「トヨタ・2000GT」のスペシャリストの第一人者として広く認められている紳士の手に渡った。彼は、この貴重な車を元の素晴らしい状態に戻すために、ワークショップで完璧なレストアを施すためにその後10年を費やしたということです。長年にわたるリサーチと綿密な計画により、この個体はオリジナルの1968年のSCCAコンフィギュレーションに忠実に復元された。独自のシェルビーのメカニカルコンポーネントや歴史的なホワイトとメタリックブルーのレーシングカラーも、もちろん復元されている。レストア後は、イギリスの「グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード」や、アメリカの「アメリア・アイランド・コンクールデレガンス」など、数々の重要なイベントに出展され、クラス優勝も果たした。シャシーナンバー10001であり、さらに「キャロル・シェルビー」とのSCCAレーシング・プログラムで果たした重要な役割を考えると、これまでに製造されたトヨタ車の中でも最も重要で、最も影響力のある最高の日本車のうちの1台だといえる。1980年以来、ひとりのオーナーの所有下にあり、これまで一度も公で販売されたことはなかったこの車両が2022年3月4日に開催される「Gooding & Company」のアメリア・アイランド・オークションに出品されることになったという。推定落札価格は2,750,000~3,500,000ドル(約3億1600万~4億円)となっている。

cimashimashimanchu

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  • 貴ブログを興味深く拝読させていただきました。
    つい最近のことになりますが2000GTの記事を見て、ネットをググっている際に、貴サイトを偶然拝見いたしました。

    実は、当該車体でなく残りのShelby Owened Machines(多分、S/N10005 & 10006)を在米中に見たことがあります。 と言うより、リファービッシュ中であった二台を買わないかとの申し出を受け、そのガレージまで見に行きました。 うち一台はすでにほぼ完成に近く、もう一台は始まったばかりのようでした。 様でしたと言うのは、実に残念なことに、その折に撮った写真は実家を襲った洪水のために、水に浸かって遺失してしまいました。
    そのガレージの場所も正確には記憶に残っておらず、多分、NHかMAの州境近くだったかと。価格はUS$250,000-でした。 
    当時(1991年)、すでに帰国が決まっており、更に長女が米国の大学に進学を望んでいた為、帰国後の薄給ではとても学費を捻出できるはずもなく、泣く泣くギブアップしました。 

    加えて、本来はボンドカーも購入する機会があったのかもと思料いたします。
    1970年代は名古屋に居住し居り、トヨタの関係会社である新明工業さんに縁があって出入りさせていただき、LHD車を何台かお世話戴き乗っていました。 (弊Facebookに写真を挙げています。Accountは、"Kenzo Sanborn"です)
    75,76年頃かと思いますが、白のペイントのボンドカーが新明工業に入ってきました。 これも数多くの写真を撮ったのですが、実家の洪水被害で遺失しました。 そのボンドカーをネットで偶然見たのがきっかけで、最近暇を見ては関連記事を拝読しております。 
    非常に不思議なのは、その白(だったはず)のボンドカーは、ハワイの医者が乗っていたもので、トヨタが買い戻したとかの話でした。 現車を見たのは、搬入された翌日か翌々日だったかと思います。 工場の片隅に木材で組んだスキッドがまだ放置されており、明らかにそのスキッドで送られてきた事が明白でした。 広く言われているハワイのボンドカーはブルーにペイントされていたはずですし、もし国内に残っていたペースカーであれば、車体の側面にTOYOTA 2000GT Official Pace Carなどのペイントがあったはずです。 記憶では、確かにじゃっかん車体の各所に傷などがあったと思いますが、大きく毀損しているものではありませんでした。 従業員の発言である「ハワイの・・・」も不思議です。 
    で、その後当該車体がどうなったかですが、暫くして行って見たときにはすでに新明さんにはなく、従業員によれば結局スクラップ屋に引き取られたということでした。 冗談で「だったら買っとくべきだったかも」なんて会話を交わしのを覚えています。 

    なんか不思議な話ですが、記憶が間違っているのか、ネットにある通説とは何分異なることが多く、いよいよ新明さんに出かける必要があるのかもしれません。 石川さんとは一二度対面でお話をした記憶がありますが、何にかご存知であれば・・・。

    要は、このボンドカーが最終的には諸井さんが購入してレファービッシュしたものかと思いますが・・・。 
    と、そんな経緯で貴ブログにたどり着きました。