あわせて読みたい記事:【スターレット ワークス】KP47トムス137E搭載:スペック
あわせて読みたい記事:【フェアレディZ32】世界記録のボンネビル最高速仕様のスペック
あわせて読みたい記事:【インプレッサ 22B STi】伝説の限定マシンのスペックとは
その昔、1970年代から1980年代にモンスターマシンが競合する「グループ5」と呼ばれたカテゴリー。この「グループ5」のレーシングカーは別名シルエットフォーミュラとも呼ばれ、市販車をベースに大改造して作られていたレーシングマシンでした。そして、「グループ5」マシンによるレースはメーカー世界選手権レースが有名でしたが、当時のドイツの国内レースである、ドイツ・ナショナルチャンピオンシップレースというカテゴリーも、「グループ5」のマシンで争われていました。そして、絶対的な速さで圧倒していたのが、メーカー世界選手権レースと同様に、ドイツ・ナショナル・チャンピオンシップにおいても「ポルシェ・935ターボ」でした。毎回のレースにおいて独壇場となっていました。 そのような状況の中で、打倒ポルシェを目指して製作られたのが、「トヨタ・セリカLBターボ・グループ5・シルエットフォーミュラ」です。1977年7月30日に行なわれたフォーミュラ1のドイツグランプリのサポーティングイベントとして行なわれたグループ5レースに突然デビューして人々を驚せました。
トヨタのヨーロッパにおけるモータースポーツ活動は、「WRC(世界ラリー選手権)」において活躍していた「オブ・アンダーソン」氏をリーダーとする「チーム・トヨタ・ヨーロッパ」によって行なわれていました。チーム・トヨタの主な活動としてよく知られているのはラリー世界選手権への挑戦で、1974年にチームを結成して以来、「トヨタ・カローラ(TE27型)」と「トヨタ・セリカ(TA22型)」をチューンして、「WRC(ラリー世界選手権)」に挑戦しつづけ、1977年シーズンにはついに「フィアット」、「フォード」に続いて選手権第3位に輝いていました。
そして、この「セリカ・LBターボ・グループ5・シルエットフォーミュラ」は、このチーム・トヨタとドイツにおけるトヨタ車のディーラー、ドイツ・トヨタとの企画によるものでした。もちろん、ベースとなったモデルは「トヨタ・セリカ リフトバック 2000GT(18R-G型エンジン搭載)」で、グループ5の規定に合わせて大幅な改造がマシン全体にわたって行なわれています。マシンの製作を担当したのが、1976年からチーム・トヨタのラリー用エンジンのチューニングやメンテナンスを請け負っている西ドイツの「シュニッツァー」社でした。この「シュニッツァー」社はヨーゼフとヘルベルトの兄弟がおこしたチューニング・ショップで、「フォーミュラⅡ」や「ヨーロッパ・ツーリングカーチャンピオンシップ」などで活躍しているBMWのチューナーとして有名です。とくに1975年のFⅡによるヨーロッパ・チャンピオンシップレースではワークスのBMWエンジンを破ってフランス人ドライバー、「ジャック・ラフィー」氏をチャンピオン座につけるほどのチューニングノウハウをもっていました。
この「セリカ・LBターボ・グループ5・シルエットフォーミュラ」のドライブトレインとなっていたのは、「トヨタ・18R-G型エンジン」をベースとしており、「シュニッツァー製16バルブヘッド」を装着しています。16バルブヘッドをつけたトヨタ18RG型エンジンはラリー用チューンでも、最高出力:約245psを発生する高性能エンジンですが、グループ5レース用として排気量を2,090ccにまで増やし、クーゲルフィッシャー製インジェクションポンプを取りつけ、さらに「ポルシェ・935ターボ」にも装着されていたKKK製ターボチャージ1基を装備することによって、最高出力:560psを発生するチューニングが施されていました。また、ドイツ・トヨタが担当したボディはさらに大胆な改造が施されています。規定で改造できないボンネット、ルーフ、ドア、テールパネル以外はすべてグラスファイバーで作り変えられ、シャーシも原型をとどめないほどの改造が加えられていました。その結果、車重は860kgという軽さに抑えられていました。最高出力:560psのモンスターパワー、860kgの重量となる軽量化ボディ、そしてエアロダイナミクスの向上が図られたシルエットなど、高いポテンシャルは注目を集めました。ベースモデルは日本製であり、ドイツ製のボディにドライブトレインを与えれたシルエットフォーミュラ、「トヨタ・セリカLBターボ・グループ5・シルエットフォーミュラ」は、F1ドライバーの「ハラルト・アートル」氏のドライブによりレースに参戦することになりました。
1977年:10月16日のデビュー後、4戦目にあたるベルギーのゾルダーで行われたレースで、ついに常勝マシンの「ポルシェ・935ターボ」を破り、初優勝を飾りました。
1978年:
翌年となる1978年、ポルシェに乗って活躍したチャンピオン、「ロルフ・シュトメレン」をドライバーに戦うこととなりました。
第1戦:ゾルダーでは、2周目にエンジン故障でリタイア。
第2戦:ニュルブルクリンクを欠場。
第3戦:ニュルブルクリンクで開催されたアイフェル・レンネンがサポートするも4周でリタイア。
第5戦:アヴス欠場。
ニュルブルクリンク1000km:「ロルフ・シュトメレン」は、「ハラルト・アートル」と組んで参戦し予選6位につけたものの、決勝はウォーターポンプとエンジンの故障でリタイア。
第7戦:マインツフィンテンでは、7台の935に続く8位でフィニッシュした(935以外では最高位)。
第8戦・第9戦を欠場。
第10戦:ホッケンハイムでは7周目の事故後リタイアした。
第11戦:ゾルダーでは1周も走りきることなくリタイアした。2戦が残っていたが、再びレースに戻る事はなかった。
1979年:日本に輸入され、「セリカ・LBターボ・グループ5」は「トムス」のもとにきてチューニングされることとなりました。同社の創設者、「舘信秀」氏のドライビングで富士スーパーシルエットシリーズに参戦しており、赤と白のツートンカラーのボディカラーとなり、1978年と同じ仕様ままで、スポンサーのみチェックマン、タミヤ、高島屋に変更されました。 9月に開催された、富士インター200マイルレースでは、なんと優勝を果たしています。
1980年:「トムス」は、「童夢」と共同でRA40系セリカをベースに新しいシルエットマシンを開発し、そちらに注力していくこととなりました。
1981年:「トラスト」から、「星野薫」氏のドライブで富士スーパーシルエットシリーズに参戦しています。9月に行われた富士インター200マイルレースにて、3位に入賞しています。
1982年:エンジンがツインターボ化され、「トラスト・ツインターボセリカ」としてエントリーすることになりました。
1983年:「トラスト」は、新たに購入した「ポルシェ・956」によって全日本耐久選手権に参戦するため、「セリカ・LBターボ」は使用されなくなりました。
その後・・・。なんと2000年代にトラストカラーの「セリカ・LBターボ」が日本の廃品置場で朽ちているのを発見されるまで、その車について何も聞かれなかったという悲しいヒストリーを辿っています。
●全長×全幅×全高:4400×1980×1150mm
●ホイールベース:2500mm
●車重:860kg
●エンジン型式・種類:18R-G改・直4DOHCターボ
●排気量:2090cc
●最高出力:560ps/8800rpm
●最大トルク:54.0kgm/6000rpm
●タイヤサイズ(前・後):275/565-16・330/700-19