【ヒロミ】愛車の旧車ホンダ・モトコンポMOTOCOMPOの価格
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実業家、お笑い、MC、YouTuberなど多方面で幅広く活躍されている「ヒロミ」さん。多趣味でしかも極めて一流の腕前までハマり込む性格から多くの人からリスペクトされる存在でもあられます。その「ヒロミ」さんの趣味の一つがバイク。多くの名車と呼ばれるバイクをコレクションされていますが、その中から「ヒロミ」さんの愛車「ホンダ・モトコンポ」に注目です。
「ヒロミさんのプロフィール」
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- 本名:小園 浩己(こぞの ひろみ)
- 生年月日:1965年2月13日
- 出身地:東京都八王子市
- 血液型:A型
- 身長:175cm
- 最終学歴:昭和第一工業高校
- トリオ名:B21スペシャル 相方:デビット伊東、ミスターちん
- 事務所:ビィーカンパニー
- 活動時期:1986年 –
- 経歴:少年時代は照れ屋でおとなしく優しい性格だったが、兄がヤンチャだったこともあり、中高校生当時は暴走族「八王子スペクター」の一員となり、八王子を拠点に活動。 しかし18歳の夏に友人2人を乗せた自動車で大事故を起こした結果、内臓破裂による一時重体で生死の境をさまよう。この時、医者から家族にも「諦めて下さい」と伝えられたが、内臓(脾臓)を1つ摘出する長時間の難手術の末に一命を取り留める。このことから「ヒロミ」さんの母は「あなたは長生きできないかもしれないから、好きな事をしなさい」と言われ自身も「好きなことをしよう」と、入院中にバラエティー番組を見て、自分でもやれると確信し、お笑い芸人になる事を決意。
- 1985年、お笑い芸人になるために、都内のホストクラブで「デビット伊東」さんと「ミスターちん」さんをスカウトする事に動く。ルックスの良いアイドル志望の「デビット伊藤」さんと、ミュージカル役者&ダンサー志望だった、「ミスターちん」さんにそれぞれ「ヒロミ」さんが声を掛け、必死で彼らを口説き落として、お笑いトリオB21スペシャル結成にまでこぎつけたという。
- 1986年、「デビット伊東」さん、「ミスターちん」さんとともにコントグループB21スペシャルを結成。オシャレ感のない当時の若手芸人らとの差別化を図るため、衣装はDCブランドにしようというのも「ヒロミ」さんの発案によるものであった。その後、アルバイト先の新宿のショーパブの客から、「ビートたけし」さんと「星セント」さんを紹介された。敢えて尊敬する「ビートたけし」さんではなく「星セント」さんを選び、師事。その理由は「この3人で勝負したかったから」だという。 最初の新宿のショーパブから、当時最も人気が高く、事務所やテレビ関係者が訪れていた六本木のショーパブ「バナナパワー」に移籍後に評判となった。店のスタッフがグッズを製作するなど、他の出演芸人が羨むほどのバックアップを受け(浅草キッド談)、新人ライブで勝ち抜いて名を馳せて行く。本格的にテレビ界へ進出すべく、横山やすしが司会を担当していた番組『ザ・テレビ演芸』に出演。「飛び出せ笑いのニュースター10週勝ち抜きシリーズ」にて見事に10週勝ち抜き、第4代目チャンピオンを獲得した。最終週で披露したネタ「六本木ステーション」は、審査員を担当していた糸井重里をして「ネタだけなら今売れている芸人の誰にも負けない」と言わしめる。結果的に、下積み時代がほとんど無く、B21スペシャルはアイドルのような見た目とテンポの良いコントで評価され、お茶の間に広がった。「ヒロミ」さん自身、一度死にかけた経験からか怖いもの知らずであったことから、先輩にも毒舌を繰り出し、強気のツッコミを武器にテレビの世界で人気を博す。
- 1988年頃から巻き起こったお笑い第三世代ブームに乗り、一躍、西の「ダウンタウン」、東の「ウッチャンナンチャン」と並ぶ人気お笑いグループとなった。お笑い第三世代の代表的グループの一つとなる。
「ヒロミさんのホンダ・モトコンポ」
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「ヒロミ」さんが誕生日にプレゼントされたのが、旧車の「ホンダ・モトコンポ」。コンパクトな原付。YouTubeで新潟から届けられていました。しかも、ホワイトの初代ホンダ・シティのトランクから登場。「ヒロミ」さんがプレゼントされた「ホンダ・モトコンポ」は、レッドのボディカラーで未登録車両という新車。今や「ホンダ・モトコンポ」は当時の3倍の価格で取引されています。この新車未登録車両となればプレミア価格が気になるところです。
「ホンダ・モトコンポ」:概要
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「ホンダ・モトコンポ (MOTOCOMPO) 」は、かつて本田技研工業が製造販売した排気量49ccの原動機付自転車。車名は「モータバイク=モト」と、当時流行っていたオーディオの「コンポ」を合わせ「持ち運びのできるモト」という意味がある。ホンダのコンパクトカー「シティ」(初代)のトランクルームに積めるというコンセプトで開発された。1981年10月29日発表、同年11月11日発売で、初代シティと同時発表同時発売。当時の販売価格は8万円。当初から四輪のシティと二輪のモトコンポを同時並行で開発しており、ユニークな試みとして注目された。
キャンプ場やサーキットなどに自動車で移動した後、目的地で自由に行動する事を目的として開発。全長1,185 mm、乾燥重量42 kgと小柄で軽量な上、ハンドルとシートとステップは折りたたんで箱形のボディーに収納でき、シティのラゲッジスペースに横倒しにして搭載できる。実際モトコンポには横倒し車載時のために↑向きの注意を促すステッカーが貼ってあった。出力2.5 PS / 5,000 rpmの2ストロークエンジンを搭載する。加速は同時期発売のロードパルと同程度、最高速度は45 km/h程度。走行中に縦・横・斜めへと揺れる車両のラゲッジスペースに積載されるという前提があったため、開発は非常に難航したが、新機構の塊として完成され、クリスマスシーズン直前に発売。6面にそれぞれの方向からモトコンポを見た絵が描かれたダンボール箱入りで販売。大変ユニークな製品であるものの販売当時は売れ残りが続出。TVCMなどにおけるイメージの影響で、シティの“おまけ”と思われていたためとも言われている。このため、在庫処分に廉価販売された車両もあった。5万台以上が生産されたが、1985年(昭和60年)に生産を終了。トランクサイズに収まる折り畳み式超小型スクーターの先例としては、1952年(昭和27年)にフランスで開発されて数カ国でライセンス生産された「バルモビル(nl:Valmobile)」が著名な例として存在し、日本でもスクーターメーカーとして一時有力であった平野製作所が1960年から輸出向けにライセンスを得て「ヒラノ・バルモビル」として少数を生産。だがバルモビルが、フロントのハンドルやフロントタイヤ周りをトランクケース型ボディから取り出して外付け組み立てする必要があったのに対し、モトコンポは前後タイヤやドライブトレーン、フロントフォークなどが最初から部分露出状態で、地上に降ろしてから最低限の収納部を引き出して素速く使用できる設計になっており、実用性では長足の進歩を遂げていた。現在、この「ホンダ・モトコンポ」は人気となっており当時の販売価格の3倍のプレミア価格で取引されています。
「ホンダ・NCZ50モトコンポ」:スペック
【ヒロミ】愛車のホンダドリームCB750FOUR/K0カスタム
- ハンドル、シート、ステップを出した状態
- 車体型式:A-AB12
- エンジン:AB12E型 49 cm3 2ストローク 空冷単気筒
- 内径×行程 / 圧縮比:40.0 mm × 39.3 mm / 7.3:1
- 最高出力:2.5ps/5,000rpm
- 最大トルク:0.38kg-m/4,500rpm
- 乾燥重量:42 kg
- 車両重量:45 kg
- 製造期間:1981年-1985年
- フレーム:バックボーン
- 全長×全幅×全高:1185 mm × 535 mm × 910 mm
- ホイールベース:830 mm
- 最低地上高:90 mm
- 燃料供給装置:キャブレター (PA12)
- 始動方式:キック式
- 潤滑方式:分離潤滑
- 駆動方式:チェーン
- サスペンション:前 正立テレスコピック式/後 ユニットスイング式
- キャスター / トレール 25° / 30 mm
- ブレーキ:前 機械式リーディングトレーリング/後 機械式リーディングトレーリング
- タイヤサイズ:前 2.50-8-4PR/後 2.50-8-4PR
- 最高速度:45km/h
- 乗車定員:1人
- 燃料タンク容量:2.2 L
- カラーバリエーション:ディジーイエロー、カリビアンレッド、シェットランドホワイト
- 本体価格:80,000円(税込)