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日本やブラジルのサッカーファンの間では有名な話のようですが、今回あらためて母国のクルマ雑誌『AUTO ESPORTE』の取材を受け、「ジーコ」が知られざる秘話などを明かし話題になっています。実はジーコという名前はニックネームで本名はアルトゥール・ アントゥネス・コインブラ(Arthur Antunes Coimbra)です。
1981年12月に東京・国立霞ヶ丘競技場で行なわれたのが、第2回トヨタカップ。南米王者フラメンゴ(ブラジル)と欧州王者リバプール(イングランド)がクラブ世界一の座を争った一戦は、前者が3-0の完勝を収めた。フラメンゴ不動のエースで、当時28歳と脂が乗り切っていた「ジーコ」は、1得点・2アシストと全得点に絡む大車輪の活躍で、見事MVPを受賞。そして、トヨタカップMVPの副賞と言えば、その時代時代で最先端の技術が駆使されたトヨタ産のスポーツカーです。この日の「ジーコ」に提供されたのは真っ赤な「トヨタ・セリカ」の3代目モデル。その副賞の「セリカ」を大切にし「ジーコ」はその理由を次のようにコメントしています。「何度もこのセリカを売ってくれと頼まれたが、そのたびに私は頑なに拒否してきた。これは単なるクルマではない。偉大なトロフィーであり、素晴らしい思い出でもあるんだ。フラメンゴが世界一を獲った最高に美しい瞬間のね。(クルマの)調子はぜんぜんOKだし、よく動いている。永遠に乗り続けるよ。生きているかぎりはね(笑)」
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1981年当時、不況が深刻なブラジルは外国製品に対して厳しい輸入制限を設けていた。とりわけクルマなど贅沢品は取り締まりが厳重で、ただでさえ珍しい日本車ともなれば、ブラジル国内では日本大使館員や外交官くらいしか乗っていなかったということです。クルマを金銭に換える手もあったが、「ジーコ」はこれを固辞。なんとしても「セリカ」をブラジルに持ち込みたいと、あらゆる手を尽くしたと振り返っています。
「あれは優勝トロフィーなんだ。絶対に諦めたくなかった。時の財務大臣や中央銀行の総裁とか、可能な限りの人脈を使って奔走したよ。でもなかなか上手く行かなくてね。クルマがようやく到着したのは、1983年の4月だった」
1年半越しに晴れて“納車”となったようです。「ジーコ」にサプライズをもたらしたのが製造元のトヨタでした。すでに「セリカ」は3代目にモデルチェンジしていたため、トヨタカップ時の「セリカST」ではなく、最新版でよりグレードアップされた「セリカ2.0 GT」を届けてくれたのだということです。しかもブラジルに合わせ、北米向けの左ハンドル仕様をチョイス。それからわずか4か月で「ジーコ」はイタリアのウディネーゼへ移籍するが、欧州挑戦中の2年間は実兄エドゥが預かって、大事に保管していたということです。
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「セリカ」のコンディションですが、ジーコによれば走行距離は「だいたい7万マイル(約11万2000キロ)くらい」とのことです。40年間運転し続けた割にはかなり少ないが、それだけ大切にメンテナンスを繰り返しながら、宝物のように扱ってきた証拠。英紙『The Sun』は「ジーコほどのスーパースターが40年間もひとつのクルマを大事にしている。
まさにカネでは買えない、プライスレスな思い出なのだろう。素晴らしいストーリーではないか」と伝えています。「ジーコ」は冗談交じりに、「セリカ」について「油圧式じゃないから、ハンドルがめちゃくちゃ重いんだよ! だからブラジルでセリカを運転するためには、しっかり筋トレをしておかなきゃいけないんだ」とコメントしています。
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1981年7月にモデルチェンジ。車台は「カリーナ」や「コロナ」と共通。先代より一層スペシャルティカーの要素を強めて登場した。キャッチコピーは「世界、新CELICA」。また「ソアラ」が誕生したことにより、こちらは「XXシリーズ(GA60/MA60型)」も含めて、ターゲットを従来より若い世代へシフトしていました。エクステリアデザインは、直線的なラインで鋭いウェッジシェイプを描いた。また「セリカ」の4気筒系ボディ(ショートノーズ・ショートホイールベース)は先代同様にリフトバック (LB) とクーペの2種類。エンジンは1,600 cc・DOHC・EFI (2T-GEU)、1,800 cc・SOHC・シングルキャブレター (1S-U)、1,800 cc・OHV・EFI (3T-EU)、2,000 cc・DOHC・EFI (18R-GEU) の計4種類。また最大の特徴である日本車初となるライズアップ(ポップアップ)式ヘッドランプが採用。しかし、1983年のマイナーチェンジでリトラクタブル式ヘッドランプ(通称ブラックマスク)に変更。