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スカイラインの中でも「R33型:GT-R」はポテンシャルを秘めていながら、「R32型:GT-R / R34型:GT-R」に比べて影が薄いと感じているファンは少なくないようです。それでも「R33型:GT-R」は、多くの記録やポテンシャルを備えています。
どのような活躍したのか一例を挙げるならば、1990年を最後に中断していた「日産」のル・マン24時間耐久レースへの挑戦は1995年に再開されました。クラスは、GTクラスに参戦することになりますが、「R33型:スカイラインGT-R」をベースにした通常の改造だけで上位入賞は困難を極めていました。
そこで「NISMO(ニスモ)」は、「R33型:スカイラインGT-R」を大幅にカスタマイズしたル・マン専用GTカーとして「NISMO GT-R LM」を製作して挑むこととなりました。
当時のル・マン24時間耐久レースには「GTクラスに出場する車両は一般公道を走行できるロードカーが存在しなければならない」という規定がありました。
そのため、「NISMO(ニスモ)」は「NISMO GT-R LM」のベース車となるロードカーを1台製作のうえイギリスで一般車両として登録し、公認を取得したのでした。
実際、「NISMO GT-R LM」となる、このクルマは1995年に製作されたロードカーで、ラジエーターやオイルクーラー、ブレーキなどの冷却性能を高めるエアロパーツや大きく膨らんだ前後のフェンダー等が市販仕様とは大きく異なるほか、エンジンも本戦への出走を想定した部品の採用およびチューンナップが施されていました。しかし、モデルは市販はされませんでした。
ヒストリーとして「日産」のル・マン初挑戦は1986年と「R33 GT-R」から振り返ると10年という月日が流れています。ちなみに1986年のこの時のマシンは「ニッサンR86V」と「ニッサン 85V」でした。その後、1990年まで5年間続けられましたが、車両規則が変更されたことなどから中断しました。そして、1995年、国内の熱心な日産ファンの支援を受け、「NISMO(ニスモ)」が日産ワークスに代わってル・マンに挑戦することとなりました。マシンは「R33型:スカイラインGT-R」ベースのGTカー、ハンディのあるこのマシンでしたが、1995年総合10位・クラス5位、1996年には総合15位・クラス10位の成績を残しました。しかし、その後、ル・マン24時間耐久レースでは市販車ベースのマシンで優勝することは困難なため、再び日産が本格的なGTカーを開発して挑むことになりました。