【日産 スカイライン GTS-R】ETC仕様のレストア完了する

【日産 スカイライン GTS-R】ETC仕様のレストア完了する

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「日産自動車」の開発施設である、「日産テクニカルセンター」内には開発部門従業員を中心にした社内クラブ「日産名車再生クラブ」というレストアチームが存在していることは有名です。このクラブでは日産の歴史的車両を可能な限り当時の状態に戻し、動態保存する活動を進めていて、2016年までに12台の再生を完了させています。そして2017年というは、「スカイライン」の生誕60周年であり、「HR31型:スカイライン GTS-R」も「生誕30周年」という節目の年であることから、クラブが再生対象として選んだのは「日産ワークスとして海外のモータースポーツに初参加したスカイライン」であるグループA仕様の1988年式の「スカイライン GTS-R(HR31型)」でした

製作したのは「ニッサン・モータースポーツ・ヨーロッパ(NME)」で、1988年の「ヨーロッパツーリングカー選手権(ETC)」に参戦していた車両ですが、その活動時期には「スパ・フランコルシャン24時間レース」にも参戦していました。ここでは総合6位に入る記録を残しています。

そんなヨーロッパでの活躍後、クルマは日本へ戻ってきていて、最終的に日産の財産的な車両を保管する施設、「座間記念庫(非公開)」に保管されていたものです。その車両が名車再生クラブのメンバーの目にとまり、スパ24時間レース出場時の仕様で再生されることとなったというのです。そして、「NISMO FESTIVAL at FUJI SPEED WAY 2017」を完璧な姿で走らせることを目標としてレストアが施されています。このスパ・フランコルシャン24時間レース仕様の1988年式の「スカイライン GTS-R(HR31型)」に搭載されていたエンジンの「RB20DET-R」は日本のグループA仕様とはチューニング内容が違い、独特の手法による低圧縮、ハイブースト仕様でした。

もとのエンジンは降ろされて、「HCR32型:スカイライン」用のRB20DETをベースに新たに組み直して搭載しています。エンジンコンピュータはレース専用品だったが、今後の管理を考慮して純正コンピュータをベースにした仕様に戻されています。なお、R31型時代のRB20型エンジンは、インテークポート形状が特殊で燃料の霧化が今ひとつという難点も同時に解消しています。タービンやエキゾーストマニホールド、サージタンクなどはGTS-RのRB20DET-R用となっています。

このエンジンに関して担当したクラブ員からの「10年、20年後、次の方がエンジンを開けたときに“ちゃんと作ってあるな”と思えるように仕上げました」という言葉に作りに対する気持ちがこもっていました。なお、当時付けていたトランスミッションは、日産自動車がレストアしたグループA仕様車の「リーボック スカイライン」に移植されてしまっていたので、異なる形式の「71C型トランスミッション」を組み合わせています。

ブレーキキャリパーはオリジナルをオーバーホールしていますが、本体は廃盤なのでパーツを新品に変えることが不可能でした。とくに苦労したのはブレーキのエア抜きに使うブリーダー部分でした。固着していて抜けず、8本あるうちの7本はねじ切れてしまったというのです。そこですべての穴の修正など行なって、約2カ月近くの時間を費やしたということです。またスタビライザーはグループA専用品なので、これも復元したということです。

インテリアもフルレストアされており、バックスキンのステアリングホイール、フルバケットシートなど国内においてレストアが施されています。そして、エアジャッキもオーバーホールされました。残っていた車両はヘッドライトとテールランプが後期型用になっていましたが、スパ24時間レースのときはどちらも前期型を付けていたので、ここも純正パーツを入手してスパ仕様へ戻されています。夜間も走るレースなのでゼッケン灯も装着されていたはずでしたが、その後のスプリントレースでは不要なので外され、取り付けの穴も塞がれていたので、数少ないスパ24時間レース出場時の写真からゼッケン灯の形状とメーカー名を割り出して海外から入手しています。

また、今後の管理しやすさを考慮してエンジンコンピュータを換えたため、ハーネスも大改造し敷き直しています。こういった電装系の作業は、地味だが時間と手間が掛かるかなりの大仕事といえる部分です。

記念庫にあった状態でも塗装はそれほど痛んでなかったので再塗装を行なわないという話もあったが、ロールバーのほうに出ていたサビが気になるということから1度ロールバーを取り外すことになったようです。そうすると、ボディのほうもあちこちサビがあったり、他車に接触されたような変形跡があったりとそれなりのダメージが見つかったので、ボディの修正と全塗装を行なうことになったとのことです。その塗装のパーツには、バンパーやエアロパーツももちろん含まれており、同時に塗り直されているということです。今回のクルマは各パートの再生作業に予想していた以上の時間が掛かったため、シェイクダウン予定日までに仕上げるには、スケジュールの後半でかなりの追い込みが必要になったということです。そのためクラブ員の最後のひと月の週末は、朝から晩まで全て復元作業に充てられたそうです。

燃料タンクまわりは安全性重視で新品へ交換となっています。ただ、見かけはあまり変わらないように仕上げたということです。またドイツの「BBS」社に発注していたホイールは走行前日に届くというこちらもギリギリセーフだったようです。最後のアライメント調整作業は走行前夜22時ごろになってしまったとのことです。ちなみにタイヤはヨコハマADVANを履いています。ボディ板金塗装などは含まずに、このクルマに費やした作業時間は、3,200時間ほど掛かったとのことです。その苦労の甲斐あって、ニスモフェスティバル前に設定していた独自のシェイクダウンは予定どおりこなしています。テストドライバーを務めてくれたのは星野一樹選手と高星明選手で、星野選手から「メチャクチャ調子いいですね」というコメントがもらえて、苦労が報われたということです。走行を見ていたクラブ員も2015年に再生した「NISMO LM GT-R」と比べてもエンジン音はとても素晴らしかったというコメントだったようです。

シェイクダウン終了後はステッカーを貼り付けて仕上げを行ないます。この作業では大きく3つの行程があったようです。まずはもとのステッカーから型を取るのと貼ってあった位置の採寸というものです。それをデータ化してステッカーを作成し、最後に貼り付けという順です。ただ、現車はスパ仕様とはステッカーが異なっていたので写真資料などを参考に作業を行なう面が多かったし、当時のステッカー類は現在のように施工業者が手がけるのではなく、メカニックが現場で貼っていたので曲がっていたり貼る位置がずれていたりするので、今回はそれらを全て修正という意味で整えたカタチで貼り付けたということです。

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