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日本が世界に誇る名車「トヨタ・2000GT」のデビューは、1967年5月16日でトヨタとヤマハとの共同開発で誕生したモデルでした。DOHC化された直列6気筒エンジン、日本初の4輪ディスクブレーキなどの先進的装備に国産車離れした流麗なスタイルをまとって鮮烈に登場しました。ポテンシャルも最高時速:220km/hと当時としては世界トップレベルであり、スピードトライアルでは世界記録と国際記録を樹立しています。
販売価格は、238万円で当時のカローラ約6台分と純国産のスーパーカーと言える存在でした。ちなみに1965年10月の東京モーターショーで、プロトタイプが披露され、翌66年5月には第3回日本グランプリに出場しています。同年7月の鈴鹿1000kmレースでは1-2フィニッシュで優勝するなど、デビュー前からクルマ好きの注目を集めていました。なかでも上記にある通り、1966年10月に谷田部で開催されたFIA公認スピードトライアルにおける3つの世界記録達成という偉業は、発売前にして国際的な評価をも高めていました。
しかも、「トヨタ・2000GT」は、日本車として初めて映画『You Only Live Twice』(邦題『007は二度死ぬ』)の劇中車に用いられたボンドカーモデルでもあります。その「2000GTボンドカー」ですが、実は2台存在したようです。ベースとなる市販車の「トヨタ・2000GT」はハードトップのクーペモデルの1タイプしかありません。これをたった2週間でオープン(コンバーチブル)ボディーに作り変えたということですが、オープン仕様の市販車も予め用意されていたと思えるほど完成度が高い仕上がりになっています。そのカスタムポイントは、フロントウインドーの形状が実は市販車と同じではなく、屋根がない状態で最も美しく見えるように窓枠の形状を作り直したということでしょう。その結果、中にはめるガラスの形や大きさも変わってしまったため市販車用パーツの流用が利かず、かといって湾曲した特殊な形状なので、ガラスの製造も間に合わないということと、撮影で役者の顔がよく見えるように脱着式の透明樹脂製ウインドーが用意されたようです。
しかし、映画の本編中にジェームズ・ボンドが、この「2000GT」のオープンモデルをドライブするシーンはありません。「若林映子」演じるアキの助手席、という設定でしたし、「若林映子」も「2000GT」を運転することはなく、当時のトヨタワークスドライバーが代役を務めています。ちなみにイギリスでのスタジオ撮影には「アルファ・ロメオ・スパイダー」が使われました。また、この「2000GT」は、身長:約190cmの「ショーン・コネリー」がクーペでは狭くて乗りこめなかったから屋根を切った、ともいわれています。
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トヨタ博物館にある2000GTボンドカーは、映画撮影の後、ハワイのトヨタ代理店のショールームに展示されていたものを、日本のトヨタ関係者が発見し、日本に持ち帰った個体です。
「日本国内にて、長年にわたり放置されて過ごしてきたため、ボロボロ状態で発見されました。しかも無造作に積み上げられた荷物の重みで無残にもへこんでいたようです」
と記述されていますが、それは都内にあったもう1台の撮影予備車であって、トヨタ博物館にある撮影車(映画登場車)ではありませんよ。
記事にする際は、きちんと事実の確認と検証をしてから記事にしてください。