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大阪で「EXPO70(日本万国博)」が開かれた1970年に「恋はセリカで」のキャッチフレーズを掲げてデビューしたのが「トヨタ・セリカ」でした。シャシーは、「カリーナ」と共有してスタイリッシュな2ドアクーペボディーを架装した日本初のスペシャルティーカーとしてのデビューでした。
トップグレードの「1600GT」は、「トヨタ・2000GT」以来のトヨタのDOHCエンジンの伝統に従い、「ヤマハ発動機」がチューンした排気量:1,588ccの「2T-G(最高出力:115ps/6,400rpm、最大トルク:14.5kgm/5,200rpm)」型エンジンを搭載していました。レースのヒストリーを振り返ると、1965年トヨタは「TMSC(トヨタ・モータースポーツ・クラブ)」を結成し、1966年第3回日本GPにトヨタ初のDOHCエンジン搭載モデル「トヨタ・2000GT」で初参戦しています。「セリカ」のレース参戦は開発段階からレース仕様の開発が進められていました。コンピュータと風洞実験で形状が決められたフロントスポイラーやリアスポイラー、ヘッドランプカバーやオーバーフェンダーを追加する仕様で、ドライブトレインの「2T-G」型エンジンはドライサンプ化などによりパワーアップし、サスペンションアームは全面的に作り直されるなどライバルに対抗できる強いツーリングカーに育てるという目的で開発されました。
そして、実戦デビューとなったのは1971年11月、富士で開催された日本オールスターレースでした。3台出場したTS-bクラスで1~3位を独占する鮮烈なデビューとなっています。翌年の1972年においては「セリカ 1600GT」の快進撃は続き、3月の全日本鈴鹿自動車レースでツーリングカークラスで優勝、同年4月、富士で開催のレース・ド・ニッポンにおいて「日産・スカイライン 2000GT-R(KPGC10/PGC10)」や「ダットサン・フェアレディ240Z(S30)」を押さえ総合優勝を果たすなど上位を押さえるポテンシャルを発揮したのです。また5月3日の富士で開催された日本GPでは「セリカ 1600GT」が1位、2位と4位の上位をほぼ独占、3位にも「カローラ・レビン」が入りトヨタは圧倒的な強さを見せつたのでした。
当時の仕様は、ボディはオーパーフェンダーと一体成型のノーズピースを持ち、小さなテールスポイラーとの組み合わせで、空気抵抗の減少と高速時のリフトを押さえ、安定を高めたエクステリアでした。エンジンは圧縮比をノーマルの9.8か11,0に高め、最高出力:170ps/8,000rpm、最大トルク:16kgm/6,500rpmの高出力を獲得しています。主なチューニング内容は、カムプロファイルを変更し、オーパーラップを102°に広げており、インレットとエキゾースト・パルプの径をそれぞ1.5mmφずつ拡大し、キャブレターもソレックス50PHH ×2に変更して吸入効率を向上させています。また高回転時の耐久性を確保するため、潤滑方式がドライサンプに改められていました。サスペンションにも大改造が加えられており、FIA付則J項によって基本型式の変更は許されないが、すべてのアーム類をパイブとボールジョイントに変えて剛性高め、ダンパーは新開発した減衰力7段調幣式が装着されていました。
また1972年8月に「セリカ」シリーズをマイナーチェンジし、同時に足まわりを強化した「セリカ 1600GTV」を発売し、同年10月、富士1000㎞で2台の「セリカ ターボ」をデビューさせています。しかし、期待されたものの不運にして両車ともリタイアに終わっています。この「セリカ ターボ」のスペックというは、「2T-G」型エンジンにターボを装着するだけでなく、2プラグ・ヘッドに換装され、これまでのネックだった異常燃焼が解決されたということです。最高出力:260ps/8,500rpm、最大トルク:24.5kgm/6800rpmというNA仕様よりも100ps近くパワーを上げており、トルクも大幅にアップさせていました。ターボのプースト圧は、これまでより落とし、1.5~1.6kgとし、室内に調整可能のプラックポックスを備えたEFIを装着した仕様となっていました。車重は760kgとノンターボ車と同じ、パワーウェイト・レシオは、実に2.92kg/psと驚異的なスペックとなっていました。その間、スポーツ・パーツの開発が行なわれ、 1972年5月から「セリカ」のレース仕様車がユーザーの手にも渡ることになりました。その後の11月、GC最終戦で1・2位、1972年のメイクス選手権を獲得し、マカオGPで優勝。 12月には海外ラリーにも進出、RACラリーで総合91立・クラス優勝を飾る輝かしいリザルトを残しています。
1973年に入ると1月には、「セリカ・ターボ」が鈴鹿300㎞で2位を獲得し、3月、GC第1戦優勝しています。1973年4月には、「セリカLB」が発売され、排気量:2,000ccの「18R-G」型エンジン搭載モデルも加わっています。 5月、「セリカ 2000」が日本GPにデビューし、クラス1・2位を飾っています。この時のエンジンスペックは「2000」はボア:88.5 x ストローク:80mmの排気量:1,968cc、最高出力:220ps/8,400rpmのパワーと最大トルク:22kgm/6,800rpmのスペックを誇っています。
1973年8月の富士1000㎞は、「セリカ ターボ」2台が出場し、1台は4月にシリーズに加わったばかりの「LB」モデルでした。ターボ付きの「2T-G」型の1600ccエンジンは、排気側にもプレッシャー・コントロールパルプが装着され、プースト圧の安定をはかった結果、最高出力:300ps/8,500rpm、最大トルク:27kgm/6,400rpmの高惟能を発揮するスペックとなり、これまで3年間に渡って開発をつづけてきたターポチャージド・エンジンの技術的決算ともいうべきものでした。結果は「LBターボ」が初優勝、「セリカ1600GT」が3位、もう1台の「セリカクーペターボ」が4位という好成績を残しました。なお「セリカ1600GT」は、最高出力:175ps/8,500rpm、最大トルク:16.5kgm/6,500rpmにアップしています。また11月、富士GC第5戦では2プラグ・ヘッドも登場、9,000rpm以上の高回転も可能とする超高回転型エンジンとなっていました。