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「マツダ」社が名車「RX-7」の40周年を記念し、歴代モデルの「RX-7」を紹介する動画を公開しています。「SA22C型(初代モデル)」、「FC3S型(2代目モデル)」、「FD3S型(3代目モデル)」が三角形を形成し、ロータリーエンジンをイメージしているという画像です。実に初代モデルの「マツダ・サバンナ RX-7」は1978年に登場しており、「12A型:ツインローター(排気量1.2リッター)」を搭載していましたが最高出力:103psを発生していました。このモデルから前後重量バランス、低重心化を図りロータリーエンジンは可能な限り低く、そして奥に積まれ、ハンドリングを強く意識したパッケージングを持っています。コードネームは「FB」で、「マツダ」社においては2桁アルファベットの最後が「世代」を表現。たとえば「マツダ・ロードスター」だと「NA」「NB」「NC」「ND」といった感じで新しくなっています。なお「RX-7」に搭載されたロータリーエンジンはすべて「職人の手作り」となり、その意味でも高い価値、色褪せない魅力を持つクルマだと言えそうです。この「FB」モデルの「RX-7」は「マツダ」社にとって大きなヒットを記録しており、世界中で47万台を超える販売を記録しました。「カー・アンド・ドライバー」誌でも「10ベストカー」に5回も選出されるほどの高い評価がなされています。アメリカでは、エクステリアデザインが「ポルシェ・924」と比較されることが多く、しかし価格差をして「RX-7」を「プアマンズ・ポルシェ」と表現されることもあるようです。
日本では「サバンナクーペ」後継モデルとして「サバンナRX-7」という名称での販売であり、日本では「初」のリトラクタブルライトヘッドライト採用車としても知られます。日本においては、「ロータリーロケット」などとも呼ばれ、ロータリーエンジンがバイクのエンジンのようにレスポンスが良くモーターのように回転することから、そう呼ばれていたようです。1980年11月のマイナーチェンジでは、ボディと一体形状のエアダム付ウレタン製バンパーを採用しており、空気抵抗係数(Cd値)を、従来の0.36から0.34へ改善していました。その他、エンジンと車体の軽量化も行い、エンジンのガスシール性の改善などにより、当時の10モード燃費で9.2km/l(5速MT車)を実現していました。1982年にターボエンジンを加え、エンジン単体でのグロス表示の馬力は165psと、ロータリー・ターボの性能は、当時の2,000ccエンジンと比べ常識的な値ではあったものの、「RX-7」はターボ車でも車両重量が1,020kg(GTターボ)と圧倒的に軽いことにより、スポーツカーの名に恥じない加速をもたらしました。ターボエンジンの追加によって、パワー・ウェイト・レシオは、NAエンジンの7.58kg/psから、6.18kg/psに改善されています。初代モデルは、モータースポーツでの活躍も目覚しく、1979年のアメリカ・デイトナ24時間レースでは、初参戦でクラス優勝という快挙を成し遂げ、ライバルとなる「日産・フェアレディ240Z(S30系型)」や、「ポルシェ・911」と競い合いながら、アメリカで多くの戦績を残しています。
「旧いスポーツカーは、実際のスピードが遅くても、それを操るときに、乗って興奮できるところがあった。だから、スポーツカーの魅力を実感できたのではないか」という、この問いに対する真のスポーツカーを開発し2代目の「サバンナRX-7(FC3S型)」は、1985年10月に発売されました。エンジン排気量654cc×2の2ローターロータリー13B型エンジンは、空冷インタークーラー付ツインスクロールターボチャージャーを装備し、馬力は駆動系を経て実際に走りにつながるネット表示の185psというスペックを誇りました。そして、GTのパワー・ウェイト・レシオは、6.54kg/psとなっています。前後重量配分は、50.5対49.5で、フロント・ミッドシップの思想を継承し、サスペンションは、フロントがストラット式、リアは初代のリジッドから、ラテラルロッド付のセミトレーリングアームという独立式に変更しました。このリアサスペンションには、『トー・コントロール・ハブ』を採用することにより、4輪操舵(4WS)の技術を応用しています。プラットフォームは専用に開発したFCプラットフォームで、フロントブレーキは日本車初の「対向4ピストンアルミキャリパー」採用しています。このFC世代は唯一「カブリオレ」を有するRX-7でもあります。屋根は、そのときの気分に応じて、フルオープン、タルガトップ、クローズドから選ぶことができる、手の込んだ仕組みになっており、座席後方には、オープンの際に風の巻き込みを抑えるエアロボードを備えていました。
1989年のマイナーチェンジでは、エンジンの圧縮比を高め、ターボチャージャーの改良を行い、インディペンデント・ツインスクロールターボを採用して、205psへ馬力向上させました。同時に、エンジン各部についてもローターやフライホイールの軽量化により、アクセル操作への反応を改善し、これらの性能向上により、パワー・ウェイト・レシオは5.72kg/psに到達していました。
「ロータリーエンジン・ベスト・ピュア・スポーツカー」という開発コンセプトをもとに1991年10月に登場したのが、三代目モデルの「RX-7」です。「サバンナ」の名称が取れるも、当時多チャンネル展開を進めていたマツダの「アンイフィニ店」から発売されることになり、発売当初は「アンフィニRX-7」という呼称が用いられています。繊細な曲面で構成するデザインは、魅惑的美しさも備えていました。低いボンネットフード、小さく絞り込んだキャビン、偏平タイヤの装着と調和した張りのある前後のフェンダーなど、国産スポーツカーとして他に類を見ない、こだわりをつくりこんだデザインでした。グレードは「S」、「X」、「R」という3つのグレードを設定し、このうちもっとも走りに特化したタイプ「R」では、デファレンシャルのファイナルギア比を4.100とし、他の「S」や「X」の3.909と異なる数値を与えることで、鋭い加速を強化していました。サスペンションの設定も、タイプR独自の操縦安定性をより重視した強化仕様となっています。軽量化とともに、パワー・ウェイト・レシオ5.0kg/ps以下を目指すため、エンジンも大きく進化させていました。シーケンシャル・ツインターボチャージャーと、ハイスピードEGIシステムにより、従来に比べ50psも性能向上させ、255psまで馬力を高めていましたし、エンジン本体も基本部分にまで細かく目を配ることで、全体を新設計したといっていいほどの全面改良となっていました。こうして、軽量化とエンジン性能向上とにより、目標どおりの4.9kg/psというパワー・ウェイト・レシオを達成していました。サスペンションは4輪ダブルウィッシュボーンとし、さらに、自然な操縦性をもたらす『4輪ダイナミック・ジオメトリー・コントロール』を採用していました。1999年1月には、「ニューRX-7」と呼ぶ大きな変更を行い、ターボチャージャーの高効率化などにより280psにまで馬力を高めました。サスペンションやタイヤを見直し、乗り心地と操縦安定性を両立しながら向上させています。デザイン面でも、フロントエアダクトの大型化や、大型リアスポイラーの装備などを行っています。
現在では記録が残っていないものの、当時の記憶によればデザイナーは中国人の「チン・ウーハン」氏でした。ルーフのダブルバブルが特徴的です。この「RX-7(FD3S型)」は2000年、2001年、そして2002年まで、限定販売を通じてスポーツカーの進化を続けながらも、2002年8月には、24年間続いた〈RX-7〉の歴史に幕を閉じる生産終了が決まったのでした。「すべてはピュアスポーツのために」ロータリーエンジン初の量産市販車、コスモススポーツの伝統を受け継いだ「RX-7」という一つの時代が、ここに終わったのでした。