【ダイハツ:シャレード・デ・トマソ】1990年代ホットハッチ①
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1990年代、バブル景気の終焉期にドライバーデビューを果たした人たちなら、当時人気だったホットハッチと呼ばれるクルマたちについてご存知のことでしょう。
ホットハッチとは、一般にはエントリーカーと認識されるコンパクトハッチバック車ながら、走行性能を高めたグレードで、1ランク上の車種のエンジンを搭載したり足回りやブレーキなど走行性能を高め、日常の足としてだけでなくその走りそのものも楽しめるクルマでした。
最も人気があったのはホンダのEG型シビックだったと記憶しています。そのスポーツカー的な低いボンネットに1.6リッター直4DOHC VTECエンジンを搭載する「SiR」グレードが、免許取り立ての若者の羨望を集める一方で、1.5リッターのSOHC VTECエンジンを搭載する下位グレードも十分な性能がありました。
シビックのライバルとも言えたのが三菱のミラージュあたりでしょうか。こちらもシビックと同様、1.3~1.6リッターのエンジンをラインナップし「CYBORG」と呼ばれる最上位グレードにはホンダのVTECへの対抗技術MIVECを備え、EGシビックSiRを上回る175馬力を絞り出していました。
一方、トヨタはといえばスターレットにGTと呼ばれる1.3リッターターボエンジン搭載モデルを用意していたものの、出力は135馬力とおとなしめ。この頃のトヨタはレビン/トレノという1.5~1.6リッターのクーペ車に人気があったように思えます。
日産にもホットハッチはありました。それがパルサーGTI-R。サファリラリーなどで名を馳せた日産の名声を再びとばかりに、世界ラリー選手権への挑戦を目論んで開発されたという点で、パルサーGTI-Rはホットハッチの頂点に立つクルマだったと言えます。この小さな車体に2リッター直4、SR20DETターボエンジンを詰め込み、最高出力は230馬力、最高速度は230km/hを越えると言われました。駆動方式はもちろん4WDを採用、0-100km/h加速は5秒台を誇りました。
そして、おそらく多くの人がその存在すら忘れているかもしれないのが、ダイハツ・シャレードです。シャレードはコンパクトハッチバック車として1970~80年代に人気を誇ったクルマでした。この記事では1993年、これまでに登場したホットハッチ勢の片隅に発売された4代目シャレードのデ・トマソモデルをご紹介します。
1990年代前半のシャレード(4代目)は、エンジン排気量が1.3~1.5リッターに引き上げられた結果、3代目までが持っていたリッターカーならではの取り回しの良さなどが失われた一方で、シビックやミラージュ、そしてスターレットなどに比べると、これといった特徴もなく影の薄いクルマになってしまっていました。そこに投入されたのが、2代目以来のシャレード・デ・トマソモデルでした。
デ・トマソといえば、アルゼンチン出身のアレハンドロ・デ・トマソがイタリアで立ち上げたスポーツカーブランド。有名なところではヴァレルンガ、マングスタ、パンテーラといったスーパーカーが知られています。一方では、買収した伊コンパクトカーのイノチェンティをチューンした元祖ホットハッチ、イノチェンティ・ミニ・デ・トマソといった個性的なクルマも扱っています。このクルマは1980年台に入ってダイハツがエンジンを供給するようになり、この縁が後のシャレード・デ・トマソに発展しました。
1993年に発売されたG201S型シャレード・デ・トマソは、1.3リッタークラスのボディに当時ダイハツの最上位車だったアプローズの1.6リッター直4 SOHCエンジンを押し込み、前後ブレーキをドラムからディスクブレーキへグレードアップしたモデルです。
巨大なエアロスポイラーやボンネット上のガーニッシュはかなりスパルタンな印象を観るものに与えます。またナルディ製の本皮巻ステアリングホイールにレカロのバケットシートでドライバーの気分を盛り上げデ・トマソ独特の情熱的なレッド、または獰猛さを醸し出すブラックのカラーラインナップも、イタリア・モデナの本拠を置くデ・トマソのイメージを表現しています。
そして、それだけの仕様を備えながらも車両本体価格が129万8000円(5MT)に抑えられていたというのは、当時と今の物価の差を差し引いても驚くほかありません。
ただし、実際の走りという点では、シャレード・デ・トマソはシビックやミラージュらのライバルにはなりえませんでした。車格がやや劣るのと、1.6リッターながら125馬力という出力の低さは、上記ホットハッチ勢の相手になるものではありませんでした。
一方で免許取り立ての若者の目線で見ればシングルカムで最大トルク発生ポイントが4000rpmと低いエンジンは、アクセルを少し踏むだけですぐに美味しいところが使える扱いやすさがありました。平凡な4輪ストラット式サスペンションも接地性はよく、多少の悪路でも運転のしやすい車でした。
シャレード・デ・トマソは、特に山間部のワインディングでその魅力を発揮します。900kgと軽い車重に4輪ディスクブレーキは十分な減速性能があり、標準装着のピレリP600タイヤのおかげもあって、コーナリング中にアンダーが出そうな場面でもコントロールを維持できました。
もちろん高速走行時のリフトが顕著だったり、ペダルやシフトレバーの操作感がスポーツカーらしくないといった難点もあります。それでも全体的な車の挙動に気難しいところはなく、ビギナーが安心して振り回せるクルマだったことは間違いありません。
ちなみに、シャレード・デ・トマソはその車体色それぞれに愛着を持つオーナーからは、”赤マソ”、”黒マソ”などと呼ばれました。後に発売されたホワイト/シルバーのツートンカラーを纏う特別限定モデルや、それと同色ながらレカロシートとリアブレーキを標準仕様に戻した廉価バージョンのシャレード・デ・トマソ・ビアンカは、やはり”白マソ”と呼ばれていました
G201S型シャレード・デ・トマソは1998年に販売を終了し、シャレードそのものも2000年に姿を消しました。また、イタリア・モデナの本家デ・トマソのほうも、アレハンドロ・デ・トマソが2003年に他界すると、翌年には会社を解散することに。その後2011年頃にいったんは復活しかけたものの、結局は資金難から中国企業にそのブランドを売却してしまっています。
2018年現在、ダイハツのショールームにはかつてのようなホットハッチモデルはありません。しかし、ダイハツは近年、東京オートサロンなどの自動車ショーに赤/黒のカラーリングや(“DETOMASO”ではないものの)大きなロゴマークを配し、かつてのシャレード・デ・トマソのイメージを再現したコンセプト・カスタムカーを何台も送り込んでいます。2019年の東京オートサロンには、ミラ トコット Sporza バージョンが展示される予定です。来場客の反応も上々なこれらコンセプトモデルのなかから、いつかは21世紀のダイハツホットハッチが発売されるのに期待したいものです。
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