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ヤンキー漫画の金字塔とも言われる「疾風伝説 特攻の拓(かぜでんせつ ぶっこみのたく)」。この漫画でバイク好きになったり、旧車や名車、改造パーツやメーカーなど、あらゆるバイク知識に興味も持つようになった方も多いのではないでしょうか。また、仲間の絆についても考えさせられる漫画です。その「疾風伝説 特攻の拓(かぜでんせつ ぶっこみのたく)」から登場するキャラクターと愛車に注目してみたいと思います。今回は、横浜の暴走族「夜叉神」の総会長である「鰐淵 春樹(わにぶち はるき)」の愛車「カワサキ・Z1000J(ジェイソン)」に注目です。
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主人公は、県内で中の上の私立横浜港ヶ丘高校に通う1年生の浅川拓。彼は、学校では典型的ないじめられっ子のポジションを確立していました。その為、学校はただの辛い場所だと日々思っていました。ところが3学期のある日、後の拓の人生を変える転機が訪れます。それは、転校生の鳴神秀人との出会いでした。そこからその後、内部抗争が絶えない不良のふきだまりの私立聖蘭高校、通称「乱校」の1年D組に転校することとなる。話の流れで「爆音小僧」のメンバーとなります。最初の愛車は1980年代のバイクレーサーでありキングケニーとしてロードレース界で有名だったケニー・ロバーツからケニー・ロバーツ号こと「ヤマハ・FZR250R」でした。その愛車は乗り換えていき、ミラクルのバイクテクニックとケンカや友情で高校生活が大きく変わるという流れ。
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横浜の暴走族。通称「組織力の夜叉神」。現在、第19期。構成人数1000人を超える単体では県下最大数の族。「本郷支部」「山の手台支部」など横浜中に各支部を持ちながら、各支部が本部を名乗り一向に纏まらなかった族であるが、それを初めて纏め上げたのが鰐淵である。しかし、未だ各支部同士が友好的な訳ではなく、小競り合いがある様子。親衛隊は「狂音烈士隊」と呼ばれる。乱校では1年と3年が主要メンバー。背中の看板は「天衣無縫羅刹」。
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「夜叉神」第19期総会長。乱校3年D組。そして「音速の四天王」の一人を担っています。1000人を超える族の総会長であり、他の族にも強い影響力を持つ。「半村誠追悼集会」や「増天寺ライブ」等の主催者にもなった。18歳と思えぬ貫禄に加え、自制心も持ち合わせており、彼はあくまでもチームを”走り屋”でありたいと考えているようです。事情あってタイマンを張る事になった「浅川拓」は、その拳を「今までの誰よりも痛い」と表現している。その容貌はいつも薄いサングラスをかけており、萌子とお揃いで左耳に3連ピアスをつけている。最終回の全面戦争には参加しなかった人物。愛車はブルーメタリックの「日産・フェアレディ280Z(S130型)」と、「カワサキ・Z1000J」のカウルなしローソンレプリカ仕様(通称「ジェイソン」)。
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カワサキは、「Z1/Z2」の成功から1970年代の半ばになると各メーカーがライバル車を続々と輩出し、苦戦を強いられていました。そのような中にあって1978年、正常進化をとげた「Z1000MkⅡ」を登場させると、見事に王者復活をとげ、再び最強の冠を手にすることに成功。しかし、本場アメリカでAMAにファクトリーとして本格参戦を決定したカワサキにとって、確実に勝利を獲得するためには、さらなる力は絶対に必要な状況となります。その理由は、1981年からのAMAのレギュレーションが大きく変更になり、1000cc以上あったMkⅡが出走できなくなったというのが大きな要因ということです。そこで「Z1000MkⅡ」をベースにクランクシャフト、ボア、カムシャフト、キャブレター、フレームなど、細部にわたるほとんどすべてを改良、強化し、新しく登場させたのが、第2世代のZと呼ばれることになる「Z1000J」。これまで「Z1R(1978年)」、「Z1000MkⅡ(1979年)」と角張ったデザインを採用してきたZに比べると、Jのデザインはずいぶんと丸みをおびた、やさしいデザイン。しかし、中身の方は、排気量こそAMAのレギュレーションに対応して1,015ccから998ccへとダウンしているものの、クランクシャフト径のアップ、エンジンフロント部のフローティングマウント化、クラッチ容量のアップ、新設計のフレーム、乾燥重量も5kg減、などとあらゆる点で改良が行なわれ、高回転、高出力化が図られ、運動性能も格段に向上していた。最高出力はZ史上初めて100psを超え、102㎰に達し、最高速は211km/h以上と、戦闘力は今までのどのZよりも高みへ到達したモデルです。そして、この「Z1000J」をベースにロブ・マジーの“ゴッドハンド”によってレース用にチューンされ、「エディ・ローソン」によりサーキットに放たれた「Z1000J」。その活躍はすさまじく、1981年、AMAスーパーバイクで4勝をあげ、ホンダに乗る「フレディ・スペンサー」を見事に抑え、カワサキを初のシリーズチャンピオンに導いた。それは、Z1の登場から実に10年目の快挙。そして、勢いの止まらないこのゴールデンコンビは翌年の1982年もチャンピオンを獲得。ヨーロッパでは、同じく「Z1000J」ベースの「KR1000」が世界耐久レースで1981、1982年メーカーチャンピオンを獲得し、ライダーランキング1〜4位までを独占するという大快挙を成し遂げ、Z最強伝説をゆるぎないものにしたのでした。ライムグリーンをまとい、サーキットを席巻する「エディ・ローソン」と「Z1000J」の姿はファンをまたたく間に魅了し、まさに80年代初頭は「Z1000J」のライムグリーン旋風が吹き荒れることに。またこの頃「モンスター」という称号がカワサキの1000ccレーサーに与えられ「グリーン・モンスター」とか「モリワキ・モンスター」と呼ばれることになりました。しかし、カワサキではこの絶頂期にワークス活動を休止せざるを得ない状況に。世界GPでは「KR250」で1978年から82年まで4連覇を、350ccクラスでも連覇をしていたが1982年をもって撤退し、さらに「KR1000」の開発も1984年からTT-F1のレギュレーションが1000ccから750ccに変更されることに伴い終焉を迎えた。カワサキは1983年をもってすべてのロードレースのワークス活動に終止符を打つことに。
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国内仕様と輸出仕様は、ガソリンタンクが輸出仕様は丸タンクという大きな違いがポイント。
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「疾風伝説 特攻の拓(かぜでんせつ ぶっこみのたく)」から登場するキャラクターとして貫禄ある人物、横浜の暴走族「夜叉神」の総会長である「鰐淵 春樹(わにぶち はるき)」の愛車「カワサキ・Z1000J(ジェイソン)」。カラーリングはライムグリーン(カワサキグリーン)の「エディ・ローソン」カラー。ホワイトフレアパターン、カチあげ仕様、アンコ抜きシート、ヨーロピアンウインカー、バーハンドル、集合管マフラー、リアショック…etc。