あわせて読みたい記事:【ニュルブルクリンク最速ランキング】2020年ベストバージョン
あわせて読みたい記事:【ワイルド・スピード シリーズ】 劇中車両のスペック・車両価格
あわせて読みたい記事:【1989年ー2019年の日本国産名車】平成元年のスポーツカー
平成の時代では、ターボチャージャーやスーパーチャージャーといった過給機システム、トラクションコントロール、アクティブサスペンションシステムやAWDなどの電子制御システム、エクステリアデザインもエアロダイナミクスを考慮したデザイン、ボディ、シャシーは衝突安全性も兼ねた高剛性となり、あらゆる面で向上し熟成されていったのが、平成の時代に登場したスポーツカーの特徴といえるのかもしれません。それで今回は、「令和に残す平成の名車たち」のスポーツカーとして「平成2年」に登場したモデルを振り返りたいと思います。
あわせて読みたい記事:【マツダ:RX-7 254】SA22C型ル・マン仕様ヒストリー
自動車史上において歴史に残る名エンジン、ロータリーエンジン。そのデビューは、1967年のことで世界初の実用・量産ロータリーエンジン(以下、RE)搭載車として登場したのが、「マツダ」社の「コスモスポーツ」でした。その後継モデルとなるのが、1990年4月に発表されたのが「JC型」です。このモデルは、当時マツダが販売チャンネルの拡大を図っており、そのひとつであったユーノス店のフラッグシップという存在だったことから、車名が「ユーノス・コスモ」と呼ばれました。
「ユーノス・コスモ」の最大の特徴は、量産車として世界初の3ローターRE搭載車として登場したことでしょう。3ローターの「20B型:ロータリーエンジン」は、シーケンシャルツインターボを装着して、国内最強の最高出力280ps、最大トルク41.0kgmを発生していました。トランスミッションは4速ATのみの設定だったものの、テスト走行では最高速度254.6km/h、0-400m加速14.1秒というポテンシャでした。そのエクステリアデザインはロングノーズ・ショートデッキの2ドアクーペスタイルで当時としては大柄なサイズでした。そのボディサイズからスポーツカーというよりはGTカー的な性格のモデルでした。インテリアも本革やウッドパネルを多用して高級感にあふれたものとなっていました。また、装備では世界初のGPS機能を持つ移動体通信システム(現在のカーナビのルーツ)を採用していました。
あわせて読みたい記事:【TRA京都】AE86レビンS13シルビア東京オートサロン仕様
4代目モデルの「日産:パルサー」は、1990年8月にフルモデルチェンジされています。ボディは3ドアハッチバック/4ドアセダン/5ドアハッチバックの3種類を設定し、エンジンも1.3L~2.0Lターボまで6種類を搭載するなど豊富なバリエーションでした。そして、ラインアップと注目すべきモデルが、「パルサーGTIーR」です。「GTIーR」は、「世界ラリー選手権(WRC)」参戦を目的に開発されたスペシャルモデルでした。それゆえに搭載されるエンジンはターボ及びインタークーラーの大型化や4連スロットルなど吸排気系の改良で最高出力230psにチューンした「SR20DET」型エンジンでした。駆動は前50:後50の固定トルク配分としたビスカスLSD付きセンターデフ式4WDという超スパルタンな仕様となっていました。
エクステリアデザインは、ボンネット上にインタークーラーのための巨大なパワーバルジとエアスクープ、リアには大型のテールスポイラーなど、レーシーなスタイリングでした。しかし、ポテンシャルとしては、コーナリング性能に問題がありました。これは前後重量配分が関係しており、前70:後30の極端なフロントヘビーと、レギュレーション上195/55タイヤのサイズが拡大できず、エンジンパワーを持て余すことが原因となっていました。それに加え、エンジンルームが狭いことからラジエターやインタークーラーの冷却が十分に行えないなど、コンペティションではさまざまな問題が生じていたのでした。そのために「世界ラリー選手権(WRC)」でも1992年のスウェディッシュラリーで3位に入ったのが最高位で、わずか2年で撤退する結果となっています。それでも、日本国内では全日本ラリー選手権でチャンピオンにもなり、ダートトライアルなどで活躍し続けました。
あわせて読みたい記事:【ワイルドスピード】劇中車両のインテグラGSRのスペック・価格
日本初のスーパーカーと呼ばれた「ホンダ・NSX」。その呼び名に相応しく量産車として世界初のオールアルミモノコックボディや3.0Lの90度V6 VTECエンジンなど、すべてが特別なモデルでした。エンジンをミッドシップに搭載し、前42:後58というMRの理想的な重量配分を実現。サスペンションはほとんどの部品をアルミ化して軽量化を図ったインホイール型ダブルウイッシュボーンで、新たにグリップ制御を加えたトラクションコントロールや4チャンネルデジタル制御のALBを組み合わせて、超絶の走行性能を実現していました。
ミッドシップ車としては異例の大容量のトランクを確保したことも注目されました。また「NSXは高性能、高品質の条件を充たすため少量生産の専用工場を建設。クラフトマンシップをフルに生かす生産システムで、1日25台の規模で生み出される」という点も特別でした。1997年に3.2Lエンジンを追加。2001年のビッグマイナーチェンジで固定式ディスチャージヘッドライトを採用したほか、タイヤサイズを前215/40・後255/40にアップしてコーナリング性能を向上させました。
あわせて読みたい記事:【ワイルドスピード×2】 D53A型エクリプスGTS・スペック
1989年(平成元年)の東京モーターショーに「HSX」という名で参考出品され、1990年10月から発売されたのが「三菱」のフラッグシップ・クーペ「GTO」でした。海外には「3000GT」の名で輸出され、また当時業務提携していたクライスラーには「ダッジ・ステルス」の名でOEM供給(前後のデザインなどが異なる)もされていました。4ドア ミドルセダンの「三菱:ディアマンテ」からシャシとパワートレーンは流用されているものの、コークボトルの流麗な2ドアクーペ ボディが特徴的なエクステリアデザインでした。トップグレードではフロントに横置きされる3L V6 DOHCにツインターボを装着し、三菱初の前45:後55という不等トルク配分型4WDを組み合わせています(ノンターボも設定されていた)。
なお、日本仕様は4WDのみでしたが、北米向けにはFFも用意されていたのです。全幅は当時のモデルとしてはかなりワイドな1840mmでしたが、Cd値は0.33と優れた数字でした。車重も1.7トンに達するものの、最高出力280psと最大トルク42.5kgmを発生するV6ツインターボは最高速を254km/hに引き上げるポテンシャルを備えていました。フロントヘビーのため操縦性は高速コーナーを得意としており、0-400m加速13.9秒と動力性能は優れていました。ゲトラグ製5速MTや4ポット・ブレーキキャリパー、高張力鋼製のドライブシャフト、アクティブリアスポイラーやアクティブエグゾーストシステムなどの仕様もスペシャルモデルといえる設定でした。ヘッドランプが固定式になったり、MTが5速から6速になるなど、何回かのマイナーチェンジを受けながら2000年まで生産が続けられたモデルです。