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「トヨタ・スープラ」のヒストリーを振り返ると、その登場は1978年にまでさかのぼります。モデル名の「SUPRA」は、ラテン語で「最高」や「上へ」という意味があり、専用設計で誕生したモデルではなく初代モデルは、北米における「日産・フェアレディ 280Z」のライバルモデルとして開発が進められました。2代目の「A40系セリカ」をベースに開発されて、1978年4月に登場しました。「セリカ」の上級に位置するスペシャルティカーで、直列6気筒SOHCエンジンを積むためにホイールベースとボンネットを延長しロングノーズ化しています。角型4灯式ヘッドライトやT字をモチーフにしたグリルなど、フロントマスクは専用デザインとなっています。
海外でのネーミングは「トヨタ・スープラ」でしたが、日本では『コロナ』に対する『コロナ マークII』のように『セリカXX(ダブルエックス)』としてデビューしています。そして、日本では大人のラグジュアリークーペとしてデビューしていることもあり、走りの魅力が足りない、という声も少なくなかったようです。そこで1980年8月のマイナーチェンジのときに、「2600G」のエンジンを「5M-EU型」の直列6気筒SOHCエンジンに換装しています。これが「2800G」であり、このマイナーチェンジにおいて全車のリアサスペンションをセミトレーリングアームの独立懸架にしてハンドリングを向上させています。
2代目の「A60系」の「トヨタ・セリカXX」が登場するのは1981年7月のことで、ロングノーズにファストバックの3ドアクーペというエクステリアデザインに変更はないものの、ウエッジシェイプの精悍なフォルムになり、ノーズ先端には角型のリトラクタブルヘッドライトを組み込んでいました。インテリアもスポーティかつ上質なデザインとなっています。「2800GT」は時代の先端を行くデジタルメーターを採用し、ヘッドレストと一体になったバケットタイプのフロントシートを採用していました。そして、ドライブトレインも大幅な変更を受けており、初代「トヨタ・ソアラ」と共通性を持たせていました。フラッグシップの「セリカXX 2800GT」には、その当時、最強スペックを誇った2.8リットルの「5M-GEU型」直列6気筒DOHCエンジンを搭載しました。5速MTのほか、時代に先駆けてマイコン制御の電子制御4速AT(ETC-S)を採用していました。ステアリングは全車パワーアシスト付きで、ハンドリング向上を図ってラック&ピニオン式となっています。ポテンシャルを大幅に高めたことにより、「トヨタ・スープラ」は大変な人気となり、2.0リットルモデルのラインアップ強化しました。1982年2月にターボ搭載車を追加、8月には2000GTを追加しています。この「2000GT」モデルは新設計の「1G-GEU型」のDOHC4バルブで、160ps/18.5kg-mを発生させていました。
3代目モデルの「A70系」としてデビューしたのは1986年2月で、モデル名を海外向けと同じ「スープラ」に統一したモデルです。エクステリアは「A60系」の「セリカXX」の流れを汲む伸びやかなフォルムで、リトラクタブルヘッドライトも受け継いでいました。ボディは少しコンパクト化され、全長とホイールベースを切り詰めているものの、ファストバックスタイルのセンターピラーをロールバー風の処理としており、新鮮なデザインでした。登場から4カ月後には脱着式のディタッチャブルトップを装備した爽快なエアロトップを設定しています。インテリアもスポーティなデザインでした。5人乗りではあるものの、後席は子ども用と割り切った室内にインパネはセンターコンソールまでを一体化した横L字型デザインで、視認性に優れたデジタルメーターのほか、瞬時に情報を読み取れるアナログメーターを用意していました。フロントシートは調整機構を増やし、優れたホールド性を実現したバケットタイプを採用していました。キャッチコピーは「ハイパフォーマンス・スペシャルティカー」で、メカニズムは同時期に登場した2代目の「Z20系:ソアラ」に限りなく近い装備が施されていました。グレード設定の頂点に立つのは、インタークーラー付きターボを追加した3.0リットルの「7M-GTEU型」直列6気筒DOHC4バルブエンジン、2.0リットルエンジンは「1G-GTEU型」DOHCツインターボと自然吸気の「1G-GEU型」DOHC4バルブを設定していました。トランスミッションは5速MTと電子制御4速ATが選べました。サスペンションは、4輪ダブルウイッシュボーン/コイル、そして上級グレードは減衰力を変化させる電子制御サスペンションTEMSが装着されていました。また、電子制御スキッドコントロールや4輪ESCなど、先進の挙動安定制御システムも採用していました。さらに「トヨタ・セリカ」から独立し、制約がなくなったことにより走りのポテンシャルは大幅に引き上げられています。素性がいいから、この「スープラ」はグループAカーによって争われる全日本ツーリングカーレースに参戦しました。デビューするのは1987年でした。その初戦で優勝を飾っています。その後には、サファリラリーにも挑戦しています。
1987年1月、「スープラ」は初のマイナーチェンジを断行しており、新登場の3.0GTターボリミテッドは海外向けと同じワイドフェンダーを採用し、全幅とトレッドを広げていました。1988年夏には化粧直しを実施し、エンジンをプレミアムガソリン仕様に変更しました。また、ワイドフェンダー仕様を拡大しています。このとき、グループAレースのホモロゲーション(公認)を取得するために「ターボA」を500台だけ限定発売しました。インタークーラーを大型化し、コンピューターなどを交換して「7M-GTE型」エンジンを270psまでパワーアップしています。最後のマイナーチェンジは1990年でしたが、「7M-GTE型」エンジンを整理し、新たに2.5リットルの「1JZ-GTE型」直列6気筒DOHCツインターボを追加しています。最高出力はついに280psに到達しており、2.5GTツインターボはビルシュタイン製のショックアブソーバーを装着し、タイヤもインチアップしていました。
1993年5月に登場したのが、4代目モデルです。ワイドフェンダーでデザインし、全幅を1,810mmまで広げていました。また、運動性能を高めるために、全高を25mm下げ、全長とオーバーハングも短くしています。アクティブスポイラーや大型リアスポイラーを装着するなど、エアロダイナミクスにも強いこだわりを見せていました。エアロ仕様は世界最高レベルの空力性能で、Cd=0.30だ。燃料タンクもトランクの下に移し、前後の重量配分を最適化していました。
エンジンは、3.0リットルの直列6気筒を復活させました。搭載するのは2.5リットルの「1JZ-GE型」をベースにした3.0リットルの「2JZ-GE型」DOHCと「2JZ-GTE型」DOHC2ウェイツインターボエンジンでした。ターボ搭載車は自主規制枠の280psに到達しているため、最大トルクを44.0kg-mに増強させました。ゲトラグ社と共同開発した6速MTを主役に、電子制御4速ATも設定した。サスペンションは4輪ともダブルウイッシュボーン/コイルを受け継いでいます。「ターボRZ」はビルシュタイン製のショックアブソーバーを標準装備しています。
1994年夏にマイナーチェンジを行い、ツインターボに17インチタイヤをオプション設定し、大型リアスポイラーも装着車を拡大しました。1995年には「RZ」にレカロ製バケットシートを採用しています。1996年にはサスペンションを改良し、ボディなどの剛性を高めてコントロール性を高めました。また、運転席と助手席にエアバッグを装備し、ABSも標準装備しています。エンジンに可変吸気システムなどを採用するのは1997年のことでした。それでも、21世紀になると排ガス規制が強化され、市場規模も縮小しました。そのために2002年夏、未練を残しながら生産を打ち切っています。
最後の「スープラ」はレースでも活躍しており、グループAレースではR32型『スカイライン GT-R』や三菱『GTO』、ホンダ『NSX』、Z32型『フェアレディZ』などと熾烈なバトルを繰り広げ、生産終了後も元気な姿を見せています。SUPER GTでは4度のチャンピオンに輝き、ルマン24時間レースにも挑みました。ムード派からピュアスポーツに進化し、多くの人に夢と希望を与えたのが「スープラ」だったのです。