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「トヨタ・セリカ」としては初の四輪駆動モデルの「GT-FOUR」が登場することになる4代目モデルは1985年8月にデビューしました。大きな変更ポイントとして、「FR」から「FF(前輪駆動)」のマシンとなったことでしょう。
これは、兄弟車である「FF」の「コロナ/カリーナ」のフロアパンをベースにしているためであり、それゆえに型式も「T」となり、「セリカ」には「コロナクーペ」と「カリーナED」という姉妹車も生まれました。
エクステリアデザインは「流面形、発見さる。」というキャッチコピーを表わしたシルエットとなり、スタイリングは、先代モデルを流動感ある曲線でなめらかに整形したかのようなボディラインを採用し、その後のトヨタ車やダイハツのクーペ風軽自動車「リーザ」にも影響を与えたデザインでした。
そして「クーペ」仕様は「コロナ・ハードトップ」と統合され「コロナクーペ」となり、ボディタイプは「リフトバック」のみの仕様となっていました。なお、「トヨタ」では、この4代目モデルから「リフトバック」のことを「クーペ」と呼ぶようになりました。
1986年には「トヨタ」初の「ベベルギア式センターデフ(手動デフロック付き)」をもつフルタイム4WDの「GT-FOUR(ST165型):排気量2,000cc」が登場しました。エンジンは「3S-GTE」型の直列4気筒DOHCターボで最高出力185ps、最大トルク24.5kgmを発生させていました。翌年の1987年8月のマイナーチェンジで「GT-FOUR」は、センターデフ手動デフロックがビスカスカップリングによる差動制限に変更されています。
ベースモデルの登場から2年後となる1987年10月にトランクルームを持つ専用ボディーの「コンバーチブル(ST162C型)」仕様が日本でも正式にラインナップに加わりました。このモデルは、街中仕様ということもありベースモデルと同様の「3S-FE」型エンジンを搭載していました。「コンバーチブル」仕様はアメリカの「ASC(アメリカン・サンルーフ・コーポレーション=現アメリカン・スペシャリティ・カーズ)」によってオープン化改造を行っており、太平洋を往復する生産ラインが後のモデルの「コンバーチブル」でも継承されることになったようです。
圧倒的なパワー競争が激化し危険とされ「グループB」が廃止された後、1987年に「トヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)」は「スープラ(前期型・7M-GTEUを搭載し最高出力410ps)」で参戦したものの成績は苦しいものでした。
そこで「TTE」は、外装は大幅な改造は不可となったレギュレーションに変わった「グループA」で勝つために、5,000台の販売規定をクリアした1988年から「ST165型:セリカ GT-FOUR」をベースとし、X-TRAC製6速ミッションを搭載し、前後トルク配分50:50のコンベンショナルな4WDシステムを組み合わせた「セリカ GT-FOUR」を投入しました。
「ユハ・カンクネン」氏は最初にドライブしたときこのマシンの素性・フィーリングを高く評価したものの、エンジンパワーと信頼性の不足に悩まされ続けました。というのも当時の「リストリクター(空気吸入制限装置)」と最低重量規定にもっとも適した排気量といわれた2リットルターボ(新開発の3S−GTE型)は、最高出力:295psであり、トルクは50kg-mに迫る低中速域重視のエンジン(ノーマルは185馬力/24.5kg-m)でした。
そのため初勝利を飾るまでには1年強を要しましたが、1990年には「カルロス・サインツ」氏が年間4勝を挙げて、日本メーカーとして初めてトヨタにWRCのタイトルをもたらしました。翌1991年は「カルロス・サインツ」氏が年間5勝を挙げるものの、僅差でタイトル獲得とはならなかったものの、当時「WRC」で最強であった「ランチア・デルタ」の王座からチャンピオンを獲得した「ST165型:セリカ GT-FOUR」の活躍は、「トヨタ」の「WRC」における輝かしい歴史となりました。
また並行参戦していた「アジアパシフィックラリー選手権(APRC)」でもチャンピオンとなったり、「TRD USA」と「オール・アメリカン・レーサーズ」によって「IMSA」のGTOクラスにも投入され、1987年にクラスチャンピオンに輝いています。