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1990年代において「少年マガジン」で人気だった漫画の代表作として「湘南純愛組!」を挙げる方も多いかもしれません。この「湘南純愛組!」や「特攻の拓」、「カメレオン」の影響でバイクやクルマに興味を持って旧車や名車を知り、改造やテクニックを知ったという方も多いのではないでしょうか。今回は、「湘南純愛組!」に登場する「神島俊生(かみしま としき)」の愛車「カワサキ・GPz900R(ニンジャ900)」に注目です。
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不良の巣窟極東高校を締めていた鬼爆コンビは学校から退学通告を受けるものの、それは自らによる偽装工作であり、今やおたく以下とされるヤンキーから足を洗い、パンピー(一般人)になる為の自主退学。2人は童貞を捨てる事を目標に、与論島でリゾートバイトを始める。その後、辻堂高校に転入した鬼爆コンビはさまざまな不良たちから喧嘩を売られ始め、毎日を喧嘩で過ごし….という流れ。
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アニメ:松本保典
実写版:戸井勝海 / 東啓介
かつては2代目暴走天使の稲村支部を治めていたことがある。湘南戦争で阿久津に重度の火傷を負わされた。第二次湘南戦争では鎌倉殺戮部隊を率いて阿久津に挑んだが、全身大火傷を負わされ入院した。その火傷の跡は残ったまま。阿久津が英吉に追い詰められた際、瀕死の体で病院を脱走し、阿久津にナイフを刺して海に突き落とした。その後は精神病らしきものも患い、入院し続けているようである。愛機は「カワサキ・GPZ900R」、通称:ニンジャ900。
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1984年に登場した「カワサキ・GPZ900R」。今や「カワサキ・ニンジャ」というネームもカワサキのバイクをイメージさせるほど世界的に浸透したネーミング。この「ニンジャ」というネーミングも「カワサキ・GPZ900R」から始まったもの。その登場を振り返るとコンセプトは、次世代のZというものでした。1:高出力、コンパクト、軽量で圧倒的な走行性能を発揮すること。2:事業性目標(採算性)を厳守すること。これらの目標を掲げ開発が始まり開発ポリシーは、「迷ったら新しい技術を取る」というもので意欲の塊の様な設計だったことから開発期間も実に5年と通常の倍以上を掛けて造られた経緯を持っています。特徴として挙げられるのが、フロント16インチやバックボーンフレーム、そして水冷エンジン。
水冷化だけでなくカムチェーンがセンターではなくサイドに来ているサイドカムチェーンレイアウトを採用。当時はF1くらいで参考になるようなデータがなく設計に相当な労力が費やされています。この苦労の結果は長年に渡り功を奏します。実に「ZRX1200DAEG」まで長く使われる事に。しかし、実は最初は水冷直四ではなかったということも興味深い点です。検討段階ではV型を始めとしたありとあらゆるエンジンが検討され、その中で有力候補として開発されたのは空冷2バルブ直列六気筒エンジンだったということです。これは、「Z1300」のノウハウを活かしたモデルで完成の域にまで来ていたものの、コストの兼ね合い、コンパクトに出来ない、紳士過ぎる(振動がない)などの理由でお蔵入りとなり空冷四気筒で再開発される事になったようです。そして、パワーの向上が考慮され、空冷よりも水冷の方がパワーを出せるという再三に渡るやり直しの末に市販型の形にたどり着いたようです。ちなみにその直列六気筒も900ccで、最後に形となったこのGPZ900Rの水冷直列四気筒も908cc。この『9』という数字は最初から決められた事で、理由はパワーウェイトレシオのバランスなどもありますが、開発者によると「Z1(900Super4)からの縁起物だから」という理由もあったようです。しかし当時は既にリッターオーバーの時代だったので900ccの「カワサキ・GPZ900R」は市場では最初は不人気モデルでした。
そのような状況を一転させたのが、有名な「トム・クルーズ」主演の映画「トップガン」です。しかし、その当時のカワサキはブランドイメージを損なう恐れがあるとしてタイアップの許可を出さなかった。それで、映画「トップガン」に登場する「カワサキ・GPZ900R」は、ロゴやエンブレムが外されステッカーが貼られていました。最大の特徴であるカワサキ初の特徴的なカウルなどはほぼそのままだったことから「カワサキ・GPZ900R」と判明し世界中で話題となり映画を見た後に大人気に。加えて、「カワサキ・GPZ900R」の性能に注目が集まりました。最高出力115馬力で最高速247km/hという世界最速、車体剛性はダイヤモンドフレームや動力性能はフロント16インチでコーナリング性の素晴らしさなどトータル性能の高さに人気が集まる結果に。ペットネームは当時アメリカでヒットしていたTVドラマ「SYOGUN」(将軍)からヒントを得たといわれるNinja(忍者)。そして、ニンジャはアメリカ、ヨーロッパで爆発的な人気となっていきます。加えて唯一無二の特徴的なデザイン。それゆえにロングセラーモデルでありながら、デザイン変更はなく動力性能改良に重きをおきました。
マイナーチェンジは下記の形。
「カワサキ・GPZ900R」の開発から市販化、最終モデルまで「新世代Z」であると同時に「元祖Ninja」でもある保守と革新その両方を成し遂げた20世紀を代表する名車でした。
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日本が世界に誇る名車「ニンジャ」シリーズの元祖。カワサキが1984年に「GPZ900R」が販売を開始し世界中の「バイク・オブ・ザ・イヤー」にも輝いた一台。このモデルはA1~A16と2003年まで発売されました。