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【高市早苗】愛車の旧車のトヨタ・スープラA70型ホワイトボディ

【高市早苗】愛車の旧車のトヨタ・スープラA70型ホワイトボディ

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政治家としての手腕が注目されている「高市早苗」さん。実はモータースポーツファンということで車やバイクが大好きだということも有名です。その愛車のバイクがカワサキの名車「Z400GP」。しかもカスタムされた仕様だったようです。そこで今回は、「高市早苗」さんの愛車の旧車「カワサキ・Z400GP」に注目です。


「高市早苗さんのプロフィール」

  • 名前:高市 早苗 たかいち さなえ
  • 生年月日:1961年3月7日
  • 出身地:奈良県
  • 出身校:神戸大学経営学部経営学科
  • 前職:近畿大学経済学部教授
  • 現職:衆議院議員
  • 所属政党:自由民主党(町村派→無派閥)
  • 経営学士:(神戸大学・1984年)
  • 配偶者:山本拓(夫)(2004年 – 2017年)
  • 経歴:奈良県出身。奈良カトリック学園、奈良市立あやめ池小学校 (後に橿原市立畝傍南小学校へ転校)、橿原市立畝傍中学校を経て、 奈良県立畝傍高等学校を卒業した。高校卒業後は神戸大学経営学部経営学科へ進学した。専攻は経営数学。大学生時代は軽音楽部に所属し、ヘヴィメタルバンドでドラムを担当していた。他にもスキューバダイビングやオートバイが趣味。
  • 松下政経塾、卒業後の活動:1984年(昭和59年)、大学卒業後に松下政経塾に入塾した(第5期生)。
  • 渡米:1987年、アメリカ合衆国(米国)へ渡った。米民主党下院議員のパトリシア・シュローダー(英語版)の個人事務所で、Congressional Fellowとして勤務し、議員立法のための調査や分析を行った。
  • 帰国後:1989年(平成1年)に日本に帰国し、松下政経塾を卒塾して[6]亜細亜大学系列の日本経済短期大学(現・亜細亜大学短期大学部)助手に就任した。1990年(平成2年)には、フジテレビ系列の朝の情報番組「朝だ!どうなる?」のメインキャスターを務めた。1992年(平成4年)には関西ハイビジョン・コンソーシアムを設立し、会長に就任した。同年、第16回参議院議員通常選挙に奈良県選挙区から無所属として出馬したが、落選。
  • 政界へ:1993年(平成5年)、第40回衆議院議員総選挙に奈良県全県区から無所属で出馬し、得票数トップで初当選。
  • 新進党へ参加:1994年(平成6年)、政策集団「リベラルズ」に参加した。リベラルズを母体に自由党(柿澤自由党)が結党され、党首の柿澤弘治が同年4月に羽田内閣で外務大臣に就任したため、与党の一員となった。同年7月、自由党は自由改革連合(自民党を離党した海部俊樹を代表とした)に参加し、さらに同年末に新進党に合流した。
  • 1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制導入に伴い、奈良1区から新進党公認で出馬し、再選された。
  • 自民党へ移籍:同年11月5日に新進党を離党した。当面は無所属に留まる意向を示していたが、1ヶ月後の12月27日に自由民主党(自民党)に入党した。新進党を離党した理由としては、「総選挙前、新進党の税制調査会で徹底的に議論した上で『大規模な減税は不可能』という結論を出したにもかかわらず、新進党党首の小沢一郎が総選挙の公示日に突然、十八兆円の大規模減税策を公約に掲げたこと」を挙げたという。自民党入党後は清和政策研究会(三塚博派→森喜朗派)に所属した。

「トヨタ・スープラ(A70型)」:概要

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3代目となる「トヨタスープラ(A70型)」。ヒストリーを振り返ると、その登場は1978年にまでさかのぼります。モデル名の「SUPRA」は、ラテン語で「最高」や「上へ」という意味があり、専用設計で誕生したモデルではなく初代モデルは、北米における「日産・フェアレディ 280Z」のライバルモデルとして開発が進められました。


「3代目モデル:1986年~1993年」

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3代目モデルの「A70系」としてデビューしたのは1986年2月で、モデル名を海外向けと同じ「スープラ」に統一したモデルです。エクステリアは「A60系」の「セリカXX」の流れを汲む伸びやかなフォルムで、リトラクタブルヘッドライトも受け継いでいました。ボディは少しコンパクト化され、全長とホイールベースを切り詰めているものの、ファストバックスタイルのセンターピラーをロールバー風の処理としており、新鮮なデザインでした。登場から4カ月後には脱着式のディタッチャブルトップを装備した爽快なエアロトップを設定しています。インテリアもスポーティなデザインでした。5人乗りではあるものの、後席は子ども用と割り切った室内にインパネはセンターコンソールまでを一体化した横L字型デザインで、視認性に優れたデジタルメーターのほか、瞬時に情報を読み取れるアナログメーターを用意していました。フロントシートは調整機構を増やし、優れたホールド性を実現したバケットタイプを採用していました。キャッチコピーは「ハイパフォーマンス・スペシャルティカー」で、メカニズムは同時期に登場した2代目の「Z20系:ソアラ」に限りなく近い装備が施されていました。グレード設定の頂点に立つのは、インタークーラー付きターボを追加した3.0リットルの「7M-GTEU型」直列6気筒DOHC4バルブエンジン、2.0リットルエンジンは「1G-GTEU型」DOHCツインターボと自然吸気の「1G-GEU型」DOHC4バルブを設定していました。トランスミッションは5速MTと電子制御4速ATが選べました。サスペンションは、4輪ダブルウイッシュボーン/コイル、そして上級グレードは減衰力を変化させる電子制御サスペンションTEMSが装着されていました。また、電子制御スキッドコントロールや4輪ESCなど、先進の挙動安定制御システムも採用していました。さらに「トヨタ・セリカ」から独立し、制約がなくなったことにより走りのポテンシャルは大幅に引き上げられています。素性がいいから、この「スープラ」はグループAカーによって争われる全日本ツーリングカーレースに参戦しました。デビューするのは1987年でした。その初戦で優勝を飾っています。その後には、サファリラリーにも挑戦しています。

1987年1月、「スープラ」は初のマイナーチェンジを断行しており、新登場の3.0GTターボリミテッドは海外向けと同じワイドフェンダーを採用し、全幅とトレッドを広げていました。1988年夏には化粧直しを実施し、エンジンをプレミアムガソリン仕様に変更しました。また、ワイドフェンダー仕様を拡大しています。このとき、グループAレースのホモロゲーション(公認)を取得するために「ターボA」を500台だけ限定発売しました。インタークーラーを大型化し、コンピューターなどを交換して「7M-GTE型」エンジンを270psまでパワーアップしています。最後のマイナーチェンジは1990年でしたが、「7M-GTE型」エンジンを整理し、新たに2.5リットルの「1JZ-GTE型」直列6気筒DOHCツインターボを追加しています。最高出力はついに280psに到達しており、2.5GTツインターボはビルシュタイン製のショックアブソーバーを装着し、タイヤもインチアップしていました。


「高市早苗さんの愛車トヨタA70スープラ」

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「高市早苗」さんの愛車だった旧車「トヨタ・スープラ」。型式は「A70型」の3代目モデル。22年間乗られたそうですが、廃車後は奈良県の自動車整備工場に保管してもらっているいそうです。ボディカラーはホワイト。フルノーマルのようです。

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