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1969(昭和44)年、3代目:「C10型:スカイライン」に設定された「2000GT-R」は、その後わずか2年10カ月の間に国内レース50勝をマークし、日本のレース史に輝く金字塔となりました。破竹の49連勝、通算50勝という栄光の戦績を歴史に刻んだ「箱スカGT-R(PGC10 / KPGC10)」は1972年9月、次世代の「C110系:スカイライン(ケンメリ)」へとフルモデルチェンジされました。
もちろん、「GT-R(KPGC110)」が登場しましたが、今では生産台数197台ということもあり「幻のGT-R」として貴重なモデルとされています。中古車相場においては、希少性から5,000万円オーバーの価格で取引されています。
そして、このクルマ「スカイライン2000GT-R(ケンメリGT-Rレーシングモデル:KPGC110型)」は、その直後に当たる1972年の東京モーターショーに出展された「スカイライン2000GT-R レーシングコンセプト」というモデル名で登場しました。翌1973(昭和48)年シーズンからの実戦投入を予感させるカーナンバー「73」を付けていました。迫力のエクステリアは大きなチンスポイラーやワークスフェンダー、サイド出しマフラーに加え、レーシングカラーを纏ったその姿に誰もがサーキットでの大活躍を信じて疑わなかっていませんでした。
しかし、エンジンなどのパワートレインなどには、大きな変更はなく、エンジン自体はオリジナルのS20型が搭載されています。こうしたことの背景には、自動車界は既に排気浄化や燃費向上などの排気ガス規制の命題を抱えていたことが関係しており、日産も多分に洩れずワークス活動を休止してしまいます。
それゆえに「スカイラインGT-R」の歴史上、唯一サーキットでレース参戦することなく実戦投入がなかったことから「幻のGT-R」とも呼ばれました。
このクルマはそれから35年後の2007年に「日産名車再生クラブ」によるフルレストアを受け、同年のNISMOフェスティバルで初めて走りを披露して喝采を浴びました。
「悲運のGT-R」はその幻の勇姿を多くのファンの目に焼き付けたまま、今もなお心の中に生き続けています。