あわせて読みたい記事:【グッドウッドフェスティバル】 ブリットのマックイーン車が登場
あわせて読みたい記事:【60セカンズ】マスタング・エレノアのレプリカの価格・スペック
あわせて読みたい記事:【フォード・マスタング】 名車復刻モデルがSEMAショーで登場
アメリカの名優:「スティーブ・マックイーン」氏の主演映画「ブリット」で使用され、その後主演の「スティーブ・マックイーン」氏が買い取って乗っていた「フォード・マスタング」が2017年に偶然にもメキシコで発見され話題となりましたが、今回は同じく「ブリット」において「スタント用」で使用された別の「フォード・マスタング」が発見されたというのです。映画「ブリット」といえば1968年のアメリカ映画でピーター・イェーツのハリウッド第1回監督作品です。カーアクションが有名で「スティーブ・マックイーン」氏が運転する1968年型の「フォード・マスタングGT390」と敵の1968年型「ダッジ・チャージャー」による、サンフランシスコの急斜面を利用したカーアクションやクライマックスの空港での追跡劇が描かれる映画です。
そして、今回の個体はサンフランシスコの坂道にて、「ダッジ・チャージャー」とのカーチェイスを繰り広げる場面で「ジャンプ」を見せた個体とのことですが、こちらも偶然発見された「フォード・マスタング」同様にスクラップにされたと思われていたようです。大変不思議なことにこの2台目のブリット・マスタングの発見もまた偶然というのです。その経緯を辿ってみると、まずレストア業を営む「ラルフ・ガルシア」氏が、客からレストア依頼のあったベース車両の「フォード・マスタング」の情報を得ようと、アメリカで有名なマスタングの専門家である「ケビン・マルチ」氏(フォードのお墨付きで、2018グッドウッドに展示された1台目の”ブリット・マスタング”のレストアにも参加)に連絡したところから始まります。「ケビン・マルチ」氏は「フォード・マスタング」の仕様に詳しく、「ラルフ・ガルシア」氏は、そのベース車両のマスタングの本来の姿をただ専門家に確認したかったようです。
しかし、シャシーナンバーとともに問い合わせを受けた「ケビン・マルチ」氏は、直ちにこれが映画「ブリット」に使用されたスタントカーであると気づき、すぐさま「ラルフ・ガルシア」氏に「そのマスタングが持つ背景を理解しているのかどうか」を聞いたところ、「ラルフ・ガルシア」氏の答えは「ノー」ということでした。つまり「ラルフ・ガルシア」氏はその「フォード・マスタング」を「単なる古いマスタング」だと思っており、映画:「60セカンズ」に出てくる「マスタング・エレノアにカスタムしようと」と考えていた、とのことです。
そこで「ケビン・マルチ」氏は「エレノアにカスタムするのも、レストアを開始するのもちょっと待ってくれ」と申し入れ、自ら出向いてその「フォード・マスタング」を調査したところ、車体番号やそのほかの状況からそれが「まぎれもない2台目のブリット・マスタング」であると確証を得たというのが今回の流れのようです。
その後の調査で明らかになってきたのは、映画作成当時、「ビュイック」社のレーシングカー製作で有名だった「マックス・バルコウスキー」氏が当時の「ワーナー・ブラザース」社から「ブリット撮影用に同じ仕様のマスタングを二台用意してくれ」と頼まれてダークハイランドグリーンの68年式マスタングを二台手配したとのことです。一台は撮影中に「スティーブ・マックイーン」氏がドライブし、もう一台はスタント用として過激なシーンに使用されることになったということです。
その後、映画の撮影が完了し、1台の「フォード・マスタング」は「スティーブ・マックイーン」氏に買い取られ、残るスタントカーは「バルコウスキー」氏の元へ戻ってきますが、その際に同氏のガレージには保管するスペースがなく、彼は「マスタング」をスクラップ業者に販売した、と記録されています。その後「マスタング」は、スクラップにされずメキシコへと売られることになり、その後レッドやホワイトへとカラーを変えて乗られるも、大きな事故の後オーナーに見捨てられ、修理されることなく今まで業者の裏庭で朽ち果てるのみだった、とのことです。その後、しばらくの時を経て「ヒューゴ・サンチェス」氏なる人物がこの「マスタング」を発見して「5000ドル」で「マスタング」を買取り、転売を試みるも買い手がつかず、「ラルフ・ガルシア」氏の営むレストアショップへ持ち込んで「マスタング・エレノア」へと改造しようとしたというのが冒頭の部分ですが、もし「ヒューゴ・サンチェス」氏がマスタングを発見しなかったら、もし「ラルフ・ガルシア」氏が「マスタング」の専門家に連絡を取らなければ、この「ブリット・マスタング」はその素性が明らかになることなくその人生を終えることになっていたというこということのようのようです。まさに、偶然に偶然が重なった出来事だったのです。