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「アルファロメオ・P3(ティーポB)」がグッドウッドフェスティバル2018において開催されるオークションへと登場予定とのことです。このマシン設計は「ヴィットリオ・ヤーノ」で、一人乗りの「モノポスト(シングルシーター)」としてはかなり早い時代、もしくは最初に設計されたものだと言われています。車体重量は680kg、エンジンは過給機スーパーチャージャー付きの8気筒が搭載されています。。
この「アルファロメオ・P3」はアルファロメオのレーシングチーム「アルファコルセ」によって実戦投入され、1932年にはイタリアGP含めて6つのGPで勝利するもその後にアルファロメオの経済的事情によって1933年のレースには不参加となっています。なお、この次期にフェラーリ創業者、「エンツォ・フェラーリ」氏は「アルファコルセ」のマネージャーとして活動しており、1932年までは自身もドライバーとして走っていました。しかし、「アルファコルセ」がレース活動を行わなくなったことから、それまで自身で運営していたチーム「ソシエタ・アノニーマ・スクーデリア・フェラーリ」をアルファロメオのセミワークスとしてレースへと参加させたのがフェラーリの起源です。
1933年にはセミワークスとしてです「アルファロメオ・P3」を投入したスクーデリア・フェラーリですが、1933年には11、1934年には18、1935年には16のレースで勝利しています。ドライバーの中には「タツィオ・ヌヴォラーリ」、「ルイ・シロン(ブガッティ”シロン”の由来となった人物)」も含まれ、「アルファロメオ・P3」全体で見ると46もの勝利をあげた、という記録が残っています。
今回、グッドウッドフェスティバル2018のオークションに登場する個体はシャシーナンバー「5007」もしくは」「50007」で、「リチャード・シャトルワース」によってドライブされたマシンです。「エンツォ・フェラーリ」がアルファロメオ在籍時代にセミワークスチームとして走らせたレーシングカーとして知られるだけに自動車史上高い価値を持つとされ、予想落札価格は最高で7億3,000万円となっています。
ちなみに「エンツォ・フェラーリ」の運営していたセミワークスチームははアルファロメオへと1938年に吸収され、翌1939年に「エンツォ・フェラーリ」はアルファロメオを退社します。その後4年はレース活動を法的にアルファロメオによって封じられており、その後の1947年に「エンツォ・フェラーリ」はようやくフェラーリを立ち上げてレースにカムバックすることになりますが、1950年から始まったF1グランプリにてアルファロメオを破ることになり、その際に「エンツォ・フェラーリ」が口にしたという「私は母親を殺してしまった」という言葉はあまりに有名です。