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カーレースの映画の中で最も有名な「Le Mans(邦題:栄光のル・マン)」。公開は1971年で、主演はスティーヴ・マックイーン。しかも、主演のスティーヴ・マックイーンが企画・主演しており、この作品は、リアリティーが追及された作品。実は作品にリアリティーをもたらしたのはシャシーナンバー1074の「フォードGT40」の存在がある。この劇中車両の「フォードGT40」、シャシーナンバーGT40P/1074には、3つのポイントがある。
1:ガルフ・オイルのコーポレートカラーであるオレンジとブルーのカラーリングを初めて使用したこと。
2:伝説的なチームオーナー/レーシングドライバー/チームマネージャーのジョン・ウィアが走らせていた3台(1074、1075、1076)のGT40のうちの1台だったこと。
3:映画「Le Man」で高速走行シーンを担当するカメラカーになったこと。
ちなみに3台のうちで最も活躍したのはシャシーナンバー1076で、ル・マン24時間で2連勝を果たしている。1968年にルシアン・ビアンキとペドロ・ロドリゲスのドライブで優勝し、翌1969年はジャッキー・イクスとジャッキー・オリバー組がステアリングホイールを握った。イクスは最終ラップに至るハンス・ヘルマンのポルシェ908と息を呑む攻防の末、彼にとって初となるル・マン総合優勝を勝ち取った。イクスはその後ル・マンで6勝を上げることになる。
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劇中車両の「フォードGT40」、シャシーナンバーGT40P/1074は1967年に製造され、その年に初レースを経験している。スペックは第一世代と呼ばれる標準的なフォードGT40。エンジンは289cu-in(4.7リッター)のフォード・フェアレーン用スモールブロックV8で、ダン・ガーニーのイーグル製シリンダーヘッドとウェバー481DA型キャブレターを備え、6800rpmから440bhp。これに組み合わされるトランスアクスルはZF製の5DS-25/1型5段。エクステリアもスタンダードスペックだが、高速でのフロントリフトを防ぐため、小さなフィンを備えていることが特徴。
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初戦は、1967年スポーツカーチャンピオン・シップ第4戦のスパ1000km。ディック・トンプソンとジャッキー・イクス組がドライブ。このレースには、エントラントのジョン・ウィア・オートモビルが競争力の向上を目的としてモディファイした「ミラージュM1フォード」として参戦し、見事、優勝を果たした。
これ以降、劇中車両の「フォードGT40」、シャシーナンバーGT40P/1074は、デイヴィド・ホッブス、マイク・へイルウッド、ポール・ホーキンス、そしてブライアン・レッドマンなど、常にトップクラスのドライバーによってレースを戦った。1074/1075/1076の3姉妹として、劇中車両の「フォードGT40」、シャシーナンバーGT40P/1074は、「ミラージュ・フォード」の重要なメンバーであった。ウィアはオリジナルGT40をベースに、空力の改善と機構面のアップデイトを図った。特筆すべきは、カーボンファイバー(C-FRP)を使った超軽量ボディパネルを採用。今日ではC-FRPはモータースポーツで多用され、市販車にも使われるようになっているが、当時は先進的な素材技術。劇中車両の「フォードGT40」、シャシーナンバーGT40P/1074で出場した1968年は、第1戦となったデイトナ24時間では燃料漏れで、第2戦のセブリング12時間では、トップ(227周)から70周遅れで完走扱いとはならなかった。第3戦のBOAC1000km/hは欠場("1075"が優勝)。第4戦のモンザ1000kmではホーキンスとホッブス組が乗って総合優勝を果たした。第5戦のタルガ・フローリオは欠場し、第6戦のニュルブルクリンク1000kmではホッブスとレッドマンが組んで6位に入り、ル・マンではリタイアに終わった。1969年も何度か欧州のレースに出場しているが、もはやGT40には勝ち目はなく、多くのシャシーが引退。
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1970年に、ジョン・ウィアは、フロリダのデイヴィド・ブラウン( アストン・マーティンのデイヴィド・ブラウンとは別人)に劇中車両の「フォードGT40」、シャシーナンバーGT40P/1074と1076を売却。ブラウンは劇中車両の「フォードGT40」、シャシーナンバーGT40P/1074を、スティーブ・マックイーンが主宰するソーラー・プロダクションズ社に貸し出した。
そしてスティーブ・マックイーンは映画でのリアリズムを追求し、1970年のレースで競争したポルシェ917Kやフェラーリ512S、ローラ、マトラなど、本物のコンペティションカーを可能な限りフルスピードで走らせて撮影することを強く希望した。当然、併走するカメラカーもそれらに匹敵する高速を出す必要があった。マックイーンが個人的に所有していた908スパイダー(彼とピーター・レブソンが組んで1970年のセブリング12時間で総合2位を獲得)をカメラカーに改造したが、これに加えてもう1台必要だった。映画に登場するわけではなかったから、最新モデルの必要はないが、タフでなければならなかった。フォードGT40はそうした要件をすべて満たしていたので、ソーラー・プロダクションズはデイヴィド・ブラウンとリース契約を結んだ。またこの仲介の労を取ったジョン・ウィアには、1970年夏に迫ったフランスでの撮影準備を依頼するとともに、もう1台、劇中車両としてガルフカラーのポルシェ917の準備を依頼した。撮影にあたって、劇中車両の「フォードGT40」、シャシーナンバーGT40P/1074のボディには、大きく重いカメラ機器を載せるための改造が不可欠で、ルーフを取り払ったうえで、フロントウィンドーの一部をカットし、リアカウル上には回転式カメラが搭載できるようにモディファイされた。これで、ジョナサン・トンプソンたちドライバーは空力面や荷重配分などの不安定要因を抱えることになったが、ポルシェ917やフェラーリ512について行けさえすればよかった。ドアも低くカットしているが、ドアはきちんと閉じなかったようで、保管されている撮影中のスチール写真にはドアがテープで留められている姿もある。劇中車両の「フォードGT40」、シャシーナンバーGT40P/1074はつつがなく役割を務め上げ、重要な接近戦シーンを捉えるのに成功した。劇中車両の「フォードGT40」、シャシーナンバーGT40P/1074は併走以外にも、1970年のル・マン本戦でもレース開始前にピットを走り、準備風景やピットアクション、そして観客の姿も収めている。
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また、もう1台のカメラカーであるソーラー・プロダクションズ所有のポルシェ908/2スパイダーは、ヘルベルト・リンゲとジョナサン・ウィリアムズ組がドライブし、カーナンバー29を着けて実際にレースに出場している。ムービーカメラを3台も装着し、撮影しながらのレースであったから、フィルム交換のために頻繁にピットインを余儀なくされたが、24時間をノントラブルで282周を走りきっている。規定の周回数に達しないことから完走扱いにはならなかったが、9位に相当する立派な成績であった。カメラカーとしての役目を終えたあと、劇中車両の「フォードGT40」、シャシーナンバーGT40P/1074はいったんブラウンに返却されたのち、アメリカのハーレイ・E・クラックストン三世に売却された。クラックストンは腕のよいレーシングドライバーであり、コンペティションカー・コンストラクター、チームオーナーでもあった。また、アリゾナ州スコッツデールにある彼の会社、GTC(Grand touring Cars)社は、ヒストリックカーの売買やレストア、メンテナンスを手掛けていた。同社は何台ものGT40を手掛けており、ル・マン・ウィナーのフォードGT40シャシーナンバー1076もすでに所有しており、この2台はGTCのショールームに並ぶことになった。1974年に、"劇中車両の「フォードGT40」、シャシーナンバーGT40P/1074はイギリス人の著名コレクターであるサー・アンソニー・バムフォードが買い取ってイギリスに持ち帰り、コヴェントリーのアビー・パネルスに依頼して撮影用に改造されていたボディをオリジナルの姿に戻した。その後、1983年にハーレイ・クラックストンが買い戻して、バーニー・コールに売却。彼はヒストリックカー・レースなどで使い、2002年に再びレストアされた。所有者は何度か替わっているが、劇中車両の「フォードGT40」、シャシーナンバーGT40P/1074は後半の数十年間をアリゾナ州のクラックストンのGTCの管理下にあり、そのヒストリーはすべて明らかになっている。