【旧車】 鈴鹿 サウンド オブ エンジン 2016 車 まとめ

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【旧車】 鈴鹿 サウンド オブ エンジン 2016 車 まとめ

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  • 鈴鹿サーキットで2016年11月19~20日に開催される『SUZUKA Sound of ENGINE 2016』には豪華な名車たちが共演することで注目されています。2015年から始まった、自動車・バイク、そしてモータースポーツがもつ貴重な歴史にスポットライトを当てたヒストリックイベントですが、2年目となる今年のイベントに登場する名車たちをラインアップしてみました。

「グループCカー」

  • 1980年代から90年代初頭にかけて、多くの自動車メーカーが全力を注ぎ、最大出力:1000ps以上の「モンスター」とも言うべき驚異的なパフォーマンスをもつ美しいレーシングカーが多数誕生したのが、「グループCカー」レースでした。11月19~20日に開催される『SUZUKA Sound of ENGINE 2016』では、カテゴリー1としてグループCカーの走行が予定されています。

「ジャガーXJR8」:1987年仕様

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  • (出典:suzukacircuit.jp)
  • 1987年仕様の「ジャガーXJR8」は、WSPC世界スポーツプロトタイプカー選手権で、ポルシェと激しく争ったジャガーのCカーのなかでも、名車の一台です。そしてカラーリングは、パープルとホワイトのシルクカットカラーという往年のジャガーカラーです。1987年に投入された「XJR-8」は、はチーム、ドライバーズのダブルタイトルを獲得もたらしたマシンです。その後、1988年には「XJR-9」を投入して、WSPCで2年連続のタイトルを獲得すると、ル・マン24時間レースでは、7連勝中のポルシェと激闘を演じて優勝し、ジャガーに31年ぶりのル・マン優勝をもたらせるなど活躍しました。 

「ポルシェ962C KM」:1986年仕様

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  • (出典:suzukacircuit.jp)
  • 1982年から「世界耐久選手権(WEC)」が始まるのに合わせて投入したのが「ポルシェ 956」です。1984年にはアメリカの耐久シリーズの「IMSA」、「WEC(世界耐久選手権)」用に「962」と「962C」を開発し参戦しました。そして、「IMSA」においては、なんと1985年から3年連続マニュファクチャラーズとドライバーズのダブルタイトルを獲得するという偉業を達成いしました。さらに「ル・マン24時間レース」にも参戦し、1986年においては、見事に1-2フィニッシュを飾ったマシンです。

「ポルシェ962C」:1994年

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  • (出典:suzukacircuit.jp)
  • 1994年から始まった「JGTC(全日本GT選手権)」では、「日産:スカイライン」、「フェラーリ」、「ポルシェ」といった「GTカー」が参戦していたのですが、この「GTマシン」たちに交じってレースしたのが、「グループCカー」の「ポルシェ 962C」を「GT仕様」に改造して参戦した「タイサンスターカード962」でした。そして、第3戦で「アンソニー・リード / 近藤真彦」が、このマシンで見事優勝を飾り、シリーズランキング5位という成績を残しています。

「グッピーMCS」:1985年

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  • (出典:suzukacircuit.jp)
  • レーシングカーの制作ファクトリーの「ムーンクラフト」が、1983年の「全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)」に参戦させたマシンが「グッピーMCS」です。ハイパワーターボエンジンのC1クラスに対して、自然吸気エンジンのC2クラスマシンであったにもかかわらず、1983年の「鈴鹿1000km」では、「ポルシェ 956」、「トヨタ 83C」などのC1マシン相手に総合3位に入るという活躍を見せたマシンでした。

「マツダ 787B(003号車)」:1991年仕様

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  • (出典:suzukacircuit.jp)
  • 「JSPC全日本スポーツプロトタイプカー選手権」に登場した、1991年仕様の「マツダ787B(003号車)」です。「ル・マン24時間」を制した「787B」とはオレンジとグリーンの「チャージカラー」の塗り分けが逆で、ヘッドライトレスなのが特徴のマシンです。「787B」は、4ローターエンジンの甲高いエキゾーストノートが世界中のファンに愛されているマシンでもあります。1991年の「ルマン24時間レース」で総合優勝を飾った「#55」が、ミュージアム入りとなった後、国内の「JSPC(ジャパンスポーツプロトタイプカーチャンピオ ンシップ)」レースに参戦するため、ルマン後に急遽製作されたのが、「787B-003号車」です。国内レース専用マシンとして製作されたため、シャーシやカウル類には軽量化が施されている点も特色の一つです。

「マツダ767B」:1986年

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  • (出典:suzukacircuit.jp)
  • マツダが1988年に「全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)」参戦用に開発し、4ローターエンジンで最大出力:630psエンジンを搭載したモデルです。このマシンは、「ル・マン24時間」レースにも参戦し、7位の結果を記録しました。マシンは後に「787B」へと進化し、1991年の「ル・マン24時間レース」で日本車初の、そして2016年まで日本メーカーとして唯一の総合優勝を飾ります。

「日産 マーチ83Gシルビア・ターボC」:1983年

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  • 1983年からスタートした「全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)」シリーズに合わせてニッサンが投入したマシンが「シルビア・ターボC」というマシンです。1983年の「鈴鹿1000km」では星野一義が耐久王者の「ポルシェ 956」が持つレコードを一気に7秒以上も短縮する驚異的なタイムで予選PPを獲得するなど、存在感を見せつけたマシンです。

「日産 スカイライン スーパーシルエット」:1982年

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  • グループCカーではありませんが、後に大幅に外観も変更してグループCにも参戦することになっていく「スカイライン」です。その「R30型 スカイライン」の「シルエットフォーミュラ」は、市販車をベースとしながらも大幅な改造が許され、そのシルエットは市販車だが、中身はフォーミュラカーのようなマシンでした。最大出力:570ps以上のモンスターマシンとなった「スカイライン」は長谷見昌弘選手が操り、1982年のスーパーシルエットレースで2勝、1983年には4勝を記録しました。
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「日産 NP35」:1992年

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  • (出典:suzukacircuit.jp)
  • 1991年から「スポーツカー世界選手権(WSC)」が自然吸気3,500ccエンジン規定となったためにV型12気筒エンジンを開発し、ニッサンが送り込んだのが「NP35」です。1992年の「全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)」最終戦に出場したものの、その後の「WSC」、「JSPC」の参戦は打ち切られ、実戦参戦はわずか1戦のみの幻のマシンです。

「日産 R92CP」:1992年

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  • 1992年にデビューし、圧倒的な強さで「全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)」シリーズチャンピオンを獲得した「ニッサン R92CP」です。1993年の「鈴鹿1000km」は、ニッサン同士のトップ争いとなり、和田孝夫、鈴木利男がドライブする「ニッサンR92CP」が終盤に大逆転し劇的な優勝を飾ったことが有名です。

「スカイライン神話」

「日産 スカイラインGT」:1964年

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  • 「日産 スカイラインGT(S54A-1型)」は、1964年5月3日の第2回「日本グランプリ」での必勝を期してプリンス自工が製作したスペシャルマシンでした。「スカイライン 1500(S50型)」のホイールベースを200㎜延長してグロリア用6気筒G7型エンジンを搭載したマシンです。100台を製作し、レース直前の5月1日に発売して出場資格を得ました。実戦用車両にはスポーツオプションのウェーバー3連キャブ、5速クロスミッション、ノンスリップデフ等を装着しています。レースは急遽出場を決めた「ポルシェ904」が勝利したものの、「スカイラインGT」は、「ポルシェ 904」をオーバーテイクしたり、2位~6位を独占してその高性能を強く印象付け「スカイライン神話」の始まりとなりました。

「日産 R380(A-1型)」:1966年

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  • (出典:suzukacircuit.jp)
  • 1964年の第2回「日本グランプリ」で敗れた「プリンス自動車」は、打倒ポルシェを目指して日本初のプロトタイプカーとなる「R380」を開発しました。直列6気筒エンジンをミッドシップに搭載した流麗なスタイルには誰もが驚きを隠せなかったマシンです。1966年の第3回「日本グランプリ(※1965年は中止)」で「ポルシェ 906」と対決し見事優勝し雪辱を果たしたのでした。そして、この「R380」のエンジンを「S20型」として市販車に搭載したのが「スカイライン 2000GT-R(KPGC10型)」、通称:ハコスカGT-Rです。
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「Formula 1」

「Tyrrell 006 」:1972年

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  • (出典:suzukacircuit.jp)
  • 「ティレル」は、1970年に初のオリジナルマシン、「ティレル 001」を開発すると、翌1971年「ジャッキー・スチュワート」が自身2度目のドライバーズチャンピオンを手にし、コンストラクターズチャンピオンも獲得しダブルタイトルに輝きました。「ティレル 001」は進化を続け、1972年の終盤に「フランソワ・セベール」のドライブで登場したのが「ティレル 006」です。この「ティレル 006」は、1973年に「ジャッキー・スチュワート」が5勝を記録し、自身3度目のドライバーズチャンピオンを獲得したモデルでもあります。「ティレル」を名門チームに押し上げるマシンとなりました。

「Ferrari 312T (Clay Regazzoni)」:1975年

  • Clay Regazzoni (SUI) Ferrari 312T retired on lap ten with a blown engine German Grand Prix, Nurburgring, 3 August 1975. BEST IMAGE
  • (出典:suzukacircuit.jp)
  • 1975年に投入されたのが「フェラーリ312T」です。このマシンは、「T」の由来となった横置きギアボックスを搭載したのを始め、フロントタイヤ直後に配置されたラジエターを通過した空気はカウルによって上方に跳ね上げられるなど独創的な機構を満載したマシンでした。しかも、独特の形状のフロントウイングも特徴となっています。この1973年は、「ニキ・ラウダ」が5勝を記録し初のドライバーズチャンピオンを獲得しました。チームメイトの「クレイ・レガッツォーニ」も1勝し、コンストラクターズチャンピオンも獲得したマシンです。

「Wolf WR1」:1977年

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  • (出典:suzukacircuit.jp)
  • 1977年にF1に参戦した「ウルフ」は、その開幕戦アルゼンチンGPに「ウルフ WR1」を投入すると「ジョディ・シェクター」のドライブでデビューウィンを飾りました。ボディ全体が楔形のウェッジシェイプ形状でダウンフォースを稼ぎ出し、かつ軽量・コンパクトに仕上げられた名車です。1977年「ジョディ・シェクター」は、3勝を記録しドライバーズランキング2位を獲得しました。最終戦の日本GP(富士スピードウェイ)では、スタート直後に2位に浮上し、決勝のファステストラップも記録するなど速さを見せ、日本のファンの印象に残っているマシンです。

「Alfaromeo 179C」:1982年

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  • 1976年にチームにエンジン供給する形でF1に復帰した「アルファロメオ」は、1979年からワークスチームとして参戦しました。水平対向12気筒からV型12気筒エンジンへ換えた「179」を投入し、1981年には1978年ロータスでチャンピオンとなった「マリオ・アンドレッティ」がチームに加わりました。1982年にかけて「アルファロメオ」は、「179C」、「179D」、「179E」と3種類のマシンを参戦させ、1981年の最終戦ラスベガスGPで「マリオ・アンドレッティ」が3位に入賞しました。「アルファロメオ」にF1復帰後初の表彰台をもたらせたマシンです。

「Venturi LC92 (Ukyo Katayama)」:1992年

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  • 1987年からF1参戦を開始したラルースチームは、1990年に「鈴木亜久里」が加入すると鈴鹿F1日本GPで日本人ドライバー初の3位表彰台に立つ活躍を見せました。1992年チームは自動車メーカー、「ヴェンチュリー」の支援を受け、ランボルギーニV12エンジンを搭載した「ヴェンチュリー・LC92」を投入します。前年の全日本F3000チャンピオン「片山右京」がF1にデビューし、そのステアリングを握ることになりました。その後も「ラルース」からは、1993年に「鈴木利男」、1994年に「野田英樹」がスポット参戦し日本人ドライバーと縁の深いチームとなっていました。

「Ferrari F2003-GA」:2003年

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  • (出典:suzukacircuit.jp)
  • 「ミハエル・シューマッハ」&「フェラーリ」の黄金期のマシンです。1999年のコンストラクターズチャンピオンから始まったフェラーリ旋風、なんと翌年からは、5年連続でコンストラクターとドライバーのダブルタイトルを獲得するほど強さを見せていたフェラーリF1。その2003年の第5戦から投入されたマシンが、「F2003-GA」なのです。2003年、前年マシンの改良型を用いた第4戦までは苦戦したものの、この「F2003-GA」がデビューすると「ミハエル・シューマッハ」が5勝を挙げ、「ルーベンス・バリチェロ」が2勝を挙げての圧倒的な強さでチャンピオンを獲得しました。

「Cooper Maserati T86」:1967年

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  • モータースポーツにおいて、プライベートチームにシャーシを供給していた「クーパー」が、1955年からは本格的にF1に参戦を開始することになり、1957年には、ドライバーの後方にエンジンを搭載したマシンを投入しました。そして、このマシンの投入によってミッドシップレイアウトは、その後のF1マシンの主流となり、いわば原点ともなったマシンです。1959年、1960年にドライバーズ、コンストラクターズのダブルタイトルを獲得する活躍を見せました。1966年からは、「マセラティ」のV12エンジンを搭載しています。1967年は、ドライバーに「ヨッヘン・リント」、「ジャッキー・イクス」を起用しレースにおいて活躍しました。

「Tyrrell 019」:1990年

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  • それまでフロントノーズ部分は可能な限り低くするのが常識だったF1の世界に革新をもたらせたのが、この「ティレル019」です。フロントノーズ位置を高くし、その下により多くの空気を取り入れてダウンフォースを向上させるもので、1990年のシリーズ第3戦にデビューすると、いきなり「ジャン・アレジ」が6位入賞しました。第4戦の「モナコ」ではトップを走る「アイルトン・セナ」の背後に迫る走りを見せ2位表彰台を獲得しました。

「Minardi M190」:1990年

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  • 「F2」、そして「F3000」参戦を経て、1985年に「F1」に参戦したのが「ミナルディ」でした。中堅チームとして活躍し1990年は、「フォード製」のV8エンジンを搭載しました。ドライバーは「ピエル・ルイジ・マルティーニ」、「パオロ・バリラ」を擁して参戦し、この年は「ピレリ社」と「グッドイヤー社」がタイヤを供給していましたが、「ピレリ製」の「ミナルディ」は苦戦を強いられ「ピエル・ルイジ・マルティーニ」の7位が最高でした。日本GPでは「ピエル・ルイジ・マルティーニ」が「ピレリ製」のタイヤでは2番手の8位に食い込む健闘を見せました。また、「パオロ・バリラ」の不振に替わり「ジャンニ・モルビデリ」がステアリングを握ることになりました。1997年には「片山右京」が、1998年は「中野信治」がミナルディからF1に参戦したこともあって、日本のファンも多かったマシンです。

「Ferrari F310」1996年

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  • (出典:suzukacircuit.jp)
  • 「フェラーリ」が1996年に投入したマシンで、この年から伝統のV型12気筒からV型10気筒エンジンに変更されました。そして、この「F310型」の「3」は「3リッター」、「10」は「10気筒」を意味しています。前年「ベネトン」でチャンピオンを獲得した「ミハエル・シューマッハ」が移籍し、「ミハエル・シューマッハ」が「フェラーリ」で初めてF1を戦った時のマシンでもあります。「ミハエル・シューマッハ」と「エディ・アーバイン」がドライブし、「ミハエル・シューマッハ」が3勝を記録し、ランキング3位を獲得しました。「日本GP」でも2位表彰台を記録し、低迷していた名門チームの完全復活を告げるマシンとなりました。

「Lotus 72C」:1970年

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  • (出典:suzukacircuit.jp)
  • 「ロータス」が1970年にデビューさせたF1マシンで、当時フロントに配置されていたラジエターをボディサイドに移し、ブレーキをインボード化した革新的なマシンです。また全体を「ウエッジ・シェイプ(楔形)」にした革新的デザインが特徴です。この年、マシンは「72B」、「72C」と進化しながら活躍を続け、「ヨッヘン・リント」が4勝、「エマーソン・フィッティパルディ」が1勝を記録しました。「ロータス72」は、1977年までの長きにわたって活躍し、その間1970年、72年にドライバーズチャンピオン、70年、72年、73年にコンストラクターズチャンピオンを獲得し、「ロータス」を代表するマシンとなりました。

 

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(出典:www.suzukacircuit.jp )

このようなモータースポーツにおける名車のラインアップとなっており、現在も更新中です。さらに、どのようなマシンたちが参加するのか楽しみなイベントです。

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プロフィール

プロフィール

名前:シマシマ 
出身:福岡(1979年生)

博多の豚骨ラーメンと博多明太子で育ち、自然界に興味を持ち、島の生活に憧れ、国境の島「対馬」に移動。現在、「自営」を行なっており、家族で島の美しい海や山、面白い動植物に囲まれ、島のライフスタイルを楽しんでいます。車やバイクも好きなので趣味で遊んでいます。島のライフスタイルや気になる情報などをご紹介しています。