「式場 壮吉」さん スカイライン伝説の立役者が亡くなった

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「式場 壮吉」さん スカイライン伝説の立役者が亡くなった

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  • スカイラインといえば、モータースポーツと深く関わりを持つ日本の名車です。そのスカイラインがモータースポーツでとりわけ光を放って輝いた伝説のレースが、1964年に鈴鹿サーキットで開催された第2回日本グランプリでした。まだ、「ハコスカ」の先代モデルとなる「スカイライン2000GT・S54B」と既にスポーツカーとして世界に名をはせていた「ポルシェ・カレラ904」とのレースです。このグランプリで「スカイライン伝説」が誕生し、「ポルシェ・カレラ904」乗る「式場壮吉」さんは、まさに「スカイライン伝説」の立役者でした。その後もレーシングドライバーを引退したのち「レーシングメイト」というブランドを立ち上げて、自動車市場を開拓されていました。そんなレンジェンドドライバーの「式場壮吉」さんが77歳で亡くなられたそうです。 classic-car-1142419_640

「伝説のレース」とは

  • 「伝説」として語り継がれる第2回日本グランプリは、「式場壮吉」さんが「ポルシェ・カレラ904」そして「スカイライン・S54B」には「生沢徹」さんが乗り、スタート直後、トップになった「ポルシェ・カレラ904」を「スカイライン」がドリフトしながら猛追する展開でした。そして、「伝説」言われるドラマが誕生したのは、7周目のヘアピン手前でした。S字区間から110Rまでに「スカイライン」が「ポルシェ・カレラ904」と周回遅れの「トライアンフTR4」のテールにつき、110Rでイン側から二台を一気にオーバーテイクしたのです。そのままヘアピンで「ポルシェ・カレラ904」をおさえ、続くスプーンから西ストレートとトップのままホームストレートに戻ってきて8周目に突入したのです。GTカーが「ポルシェ・カレラ」といってもプロトタイプカーの前を走っている姿は、あり得ない状況だったゆえに観客は大歓声を送りました。その後、8周目にスプーンコーナーで再び「ポルシェ・カレラ904」がトップを奪い、結果としては、「式場壮吉」さんの「ポルシェ・カレラ904」が優勝しました。しかし、この日の出来事によって「スカイライン」=「モータースポーツ」=「羊の皮を被った狼」という図式が浸透していくことになりました。たった1周だったとはいえ、衝撃的なレースでした。

320px-Flickr_-_wbaiv_-_Silver_Porsche_904_^12_DSC_0118ポルシェ・カレラ904(photo:wikipedia)   


「式場壮吉」は連覇していた

  • 第2回日本グランプリが取り上げられることが多いですが、実は、1963年の第1回日本グランプリにおいても活躍していた「式場壮吉」さん。その時は、「トヨタ・コロナ」で優勝しており、1963年、1964年と連覇を成し遂げておられる方だったのです。
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名前:シマシマ 
出身:福岡(1979年生)

博多の豚骨ラーメンと博多明太子で育ち、自然界に興味を持ち、島の生活に憧れ、国境の島「対馬」に移動。現在、「自営」を行なっており、家族で島の美しい海や山、面白い動植物に囲まれ、島のライフスタイルを楽しんでいます。車やバイクも好きなので趣味で遊んでいます。島のライフスタイルや気になる情報などをご紹介しています。