【ノスタルジック2デイズ 2019】特別展示の名車スペック一覧

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【ノスタルジック2デイズ 2019】特別展示の名車スペック一覧

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「Nostalgic2days(ノスタルジック2デイズ)」は、「クラシックカー(旧車)」の雑誌「NostalgicHero」 「ハチマルヒーロー」 「NostalgicSPEED」が合同で主催する日本最大級のクラシックモーターショーです。国産クラシックカーを中心にあらゆる旧車ショップ、パーツメーカー、レストアショップが集結し貴重な車両展示に限定グッズまでお楽しみいただけるイベントです。第11回目を迎える今回は、2019年2月23日(土)・24日(日)パシフィコ横浜で開催されます。そして、今回の特別展示車両は、下記の通りとなっています。


「ウォルター・ウルフ・カウンタック」

「ランボルギーニ・カウンタックLP400」のスペシャルモデルとして有名なモデルで、わずか3台のみが製作されたとされている「ウォルター・ウルフ・カウンタック(スーパーカーブーム当時の日本では「LP500S」と呼ばれた)」。1号車から3号車までのヒストリーとして下記のことがあります。

1号車:カナダの石油王でF1チームのオーナーでもあった「ウォルター・ウルフ」氏は熱狂的なランボルギーニ・マニアであり、「ランボルギーニ」社の経営に乗り出そうと計画したほどでした。そんな「ウォルター・ウルフ」氏の耳に「カウンタック」がついに発売されるという話が入り、すぐさまオーダーした後に「ランボルギーニ・LP400」の量産3号車が1974年に「ウォルター・ウルフ」氏に納車されます。しかし、「ウォルター・ウルフ」氏は、この新型車の仕上がりに不満を持っており、間もなく「ウォルター・ウルフ」氏の指導の元、大型リアウィング、オーバーフェンダー、コンセプトカーのブラーボから譲り受けたホイール、ピレリP7の超扁平タイヤなども装着された赤の「1号車」が製作され、1975年に出荷されたのでした。

2号車:この1号車には、排気量がプロトタイプより1リッター縮小されたエンジンが搭載されていましたが、その性能に不満を持った「ウォルター・ウルフ」氏は、特別に手を加えたエンジンを搭載し、サスペンションの改良を受けたカウンタックを「ランボルギーニ」社に製作依頼しました。こうして青の「2号車」が製作され1976年に出荷されています。

3号車:その後、このエンジンはさらなるチューンを施された上でネイビーブルーの「3号車」に換装され、1978年に出荷されました。この3号車はエンジンの換装のみならず、ダラーラの指揮の元でフレームやブレーキ、クラッチが強化されたいわば「究極のウルフ・カウンタック」となりました。なお、2号車には代わりに通常の「ランボルギーニ・LP400」のエンジンが搭載されました。

これらの3台の「ランボルギーニ・カウンタック」は、通称「ウルフ・カウンタック(スーパーカーブーム当時の日本ではLP500S)」と呼ばれ、特にエンジンの換装やダラーラが各所に大幅に手を加えたいきさつが詳しく語られることがなかった上に、「ウォルター・ウルフ」氏が手放した後に入手した日本人オーナーが一般に公開することを拒んだ3号車は、その存在自体が確認されない「幻の存在」として語られる事となっていました。ちなみにオーバーフェンダーやリアウィング等は後の「LP400S」、「500S」、「5000クアトロバルボーレ」において正式採用されています。

現在:各車の現在の状況についてですが、1号車はブームが過ぎ去って以降も日本に留まり「蘇える金狼」の劇中車として使用されたり、僧侶・タレントの織田無道が所有していたことで知られています。2号車はドアミラーが変更されてドイツのロッソビアンコ・ミュージアムにて展示されていました。2016年5月、イタリアで開催された「Concorso d’Eleganza Villa d’Este 2016」において、「ランボルギーニ」社の元テストドライバーである「ヴァレンティーノ・バルボーニ」氏の運転で会場に登場し、現存していることが確認できています。そして、3号車は新たな日本人オーナーの手に渡り2014年に完全なレストアを受けました。なおレストアを受ける前後にオーナー自らが「ウォルター・ウルフ」氏と「ダラーラ」と会い、3号車の開発のいきさつとエンジン換装についての確認を受け、さらにその内容が「Genroq」や「ベストカー」、「カーグラフィック」などに掲載されました。それによって「幻の存在」から脱却することになっています


「ミケロッティ・マトラ・レーザー」

「ジョヴァンニ・ミケロッティ(Giovanni Michelotti 、1921年10月 – 1980年1月23日)」氏は、 イタリアのカーデザイナーで1950〜60年代にかけて、日本車を含む多くの生産車のスタイリングを手がけましたが、この「ミケロッティ・マトラ・レーザー(Laser )」は、1971年のジュネーブショーに出展したワンオフのデザインスタディです。

ベースモデルとして「マトラ・M530」を使用してカスタマイズされており、「マトラ・シムカ・バゲーラ」の試作車として製作されたのが、「ミケロッティ・マトラ・レーザー」でした。 ミッドシップにエンジンを搭載しており、MRスポーティモデルです。


「ミケロッティ・ミザール」

同じく、「ジョヴァンニ・ミケロッティ」が、「ランチア・ベータ」をベースモデルとしてカスタマイズしたのが、1974年にコンセプトカーとして登場「ミケロッティ・ミザール(Mizar )」でした。

この「ミケロッティ・ミザール(Mizar )」の特徴は、4枚の乗降ドアがガルウィング形式で5ドア・ハッチバックというものでした。非常に開放的なキャビンとなっています。

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