【RX-7(SA22)】打倒ポルシェ「ロータリーロケット」開発

この記事は4分で読めます

【RX-7(SA22)】打倒ポルシェ「ロータリーロケット」開発

あわせて読みたい記事:【マツダ・RX-7】SA~FDまで!デビュー40周年を振り返る

あわせて読みたい記事:【マツダ・RX-7フォーチュン】ワイルドスピード仕様のスペック

あわせて読みたい記事:【マツダ・RX-7】 SA22C改IMSA仕様のスペック・価格

「マツダ」は、ロータリーエンジンの小型・軽量・高出力の特長を活かすために、「RX-7(開発コード:X605)」を開発することになり、1978年3月30日に「サバンナ:RX-3」の後継モデルとして、初代モデルとなる「サバンナ・RX-7(SA22C型)」がデビューしました。プラットフォームは、「マツダ・SAプラットフォーム」が用いられ、エンジンは「12A型」の水冷2ローターエンジンの自然吸気(NA)仕様を搭載しました。エンジンのポテンシャルは、最高出力:130ps / 7,000rpm、最大トルク:16.5kg・m / 4,000rpm、パワーウェイトレシオは、7.6~7.8kg/ps(ターボモデル:6.18kg/ps)でした。当時は、アメリカの「マスキー法(大気汚染防止法)」の影響を受け、ライバルであるトヨタ「セリカGT」や三菱「ギャランGTO」は、厳しくなる排ガス対策によるパワーダウンを排気量を大きくして補っていました。そのような中「マツダ」は、「REAPS」と呼ばれる排気ガスを再燃焼させるサーマルリアクター方式を採用し、従来に比べて40%の燃費アップを達成していました。1980年にエクステリアデザインのマイナーチェンジでテールランプとフロントスカートのデザインを変更しcd値0.34を達成しています。1982年には6piエンジンに変更を受け、10モード燃費は10.2km/lを達成しています。「マツダ」は、エンジンの出力向上よりも自社の技術を高く評価してもらえるように海外のスポーツカー市場を狙った戦略を考えていました。海外での販売開始は、1979年からでしたが、日本仕様もサイドブレーキレバーが左シート側に位置するなど、最初から左ハンドルを意識した設計となっています。「サバンナ・RX-7」のフォルムも、ロータリーエンジンのコンパクトさを活かした低いボンネットの先端に、「開閉式(リトラクタブル)」のヘッドライトを配置するという独特のものを採用しています。また後部を、曲面ガラスとしたデザインで『誰が見てもスポーツカー』という唯一無二のものとしていました。このときのキャッチコピーは『羨望(せんぼう)のRX-7』というものでした。そして、ハンドリングマシンとしてのポテンシャルは重量配分にあらわれており、50:50(50.7対49.3)に近く、海外でライバルとされた「ポルシェ・924」がフロントエンジンでトランスミッションをリアに配置することで前後の重量バランスを取っていたのとは違い、重量物を中心に集められるロータリーエンジンだから実現できたレイアウトであり、マツダも『Designed by Rotary』と謳っていました。

さらに軽量コンパクトを目指したシャシーは約1トンの車重に対して、最高出力:130PSを発生する573cc×2の12A型ロータリーエンジンとしたことで、少しの改造でサーキットではさらに速く走れるようにできることから、国内最速車として大きな人気を得ました。実際に1979年に海外でも発売された「サバンナRX-7(海外ではMAZDA RX-7)」は、1979年2月のデイトナ24時間レース・GTUクラスでの1-2フィニッシュに始まり、ライバルの「日産・フェアレディ 240Z」や「ポルシェ・911」と競いアメリカのモータースポーツで大活躍し、前人未踏のIMSA通算100勝という成績を残しました。その速さから「ロータリーロケット」と称され、マツダ自身も国内のカタログ表紙に「ロケット!」と表記したこともありました。1979年からは、ル・マン24時間スポーツカーレースにも「サバンナ・RX-7」は「RX-7・252i」、「RX-7・253」などで参戦しましたが、予選不通過や決勝リタイアが続き、結果としては「RX-7・254」で出場した1982年に総合14位での初完走に留まっていますが、1985年にはWRCアクロポリス・ラリーで総合3位に入賞、IMSA・GTUクラスで「ポルシェ」が保持していた単一車種最多優勝記録を更新するなど、モデル末期までレースの世界で高い評価を得ました。

一方、市販車においては、速さにとりつかれたマニアックなドライバーたちが「サバンナ・RX-7」を操り、その性能を確かめようとすると多くのリスクが眼の前に現れました。そのひとつが、もともとセダン向けのシャシーを転用したRX-7は、コーナリングの限界を超えた瞬間の挙動はプロドライバーでも手を焼くほどで、簡単にスピンしてしまうことから「テールハッピー」と呼ばれました。


「マイナーチェンジでハイパワー化」

  • (出典:ms-musashino.co.jp)

オイルショックの影響を感じることが少なくなった1980年代になると、国産車のパワーウォーズ時代となり過給機が装備される時代に突入していきます。その例では「日産・スカイライン」に対して、「名ばかりのGTは道をあける」と挑発していた「トヨタ・セリカ」のCMが有名ですが、1980年4月に「日産・スカイライン2000GTターボ」が発売されると「今、スカイラインを追うものは誰か」と返し、その後「トヨタ」は1981年2月に2.8リッターで最高出力:170PSを出すエンジンを搭載したと「ソアラ」を登場させると「未体験ゾーンへ。」とし、ハイパワー競争が激化していきました。「マツダ」は1983年のマイナーチェンジの際に、日本仕様のみ12A型ターボエンジンが追加されました。ロータリーターボエンジンの搭載は、世界初だった「ルーチェ/コスモ」から1年後となります。日本以外では、1984年 – 1985年に、13B型 EGI NA仕様搭載車が販売されています。このマイナーチェンジでは、ホイールハブの「ボルトピッチ(PCD)」が、同業他社の後輪駆動車と同様に改められ、4穴PCD110mmの特殊形状から一般的な4穴PCD114.3mmに変更されました。アメリカモデルでは、新たにVINコードの型式名を採用した為、「FB3S」の呼称を用いる様になっています。ポテンシャルは、0-400mが15.8秒となっており、排ガス規制以前に「日産・フェアレディZ(240ZG/S30型)」が記録した水準に戻っており日本車としては高性能のポテンシャルを備えていました。福野礼一郎は「軽い速い低い、それは確かに間違いありませんでしたがついでに何ともすべてが軽々しく薄っぺらで安っぽい感じ」「足回りもブレーキもスポーツカーとしてはちょっと脆弱」と書いているものの、基本構成に関しては「初代RX-7、いいパッケージです」「いつかマツダがもう一回RX-7のモデルチェンジをやる日がくるなら、なんともぜひこういうパッケージに戻してもらいたいですね」と評価しています。


「マツダ・サバンナ RX-7」

  • (出典:panasport.jp)
  • 型式:E-SA22C型
  • 全長 × 全幅 × 全高:4,320mm × 1,670mm × 1,265mm
  • ホイールベース:2,420mm
  • トレッド(F/R):1,420mm / 1,400mm
  • エンジン型式:12A型
  • エンジン形式:水冷 573cc×2ローター
  • 最高出力:130ps / 6,500rpm
  • 最大トルク:16.5kgm / 4,000rpm
  • トランスミッション:3AT / 5MT
  • 駆動方式:FR
  • サスペンションシステム(F/R):ストラット / 4リンク+ワットリンク(リジット)
  • ブレーキシステム(F/R):ベンチレーテッドディスク / ディスク
  • 車両重量:980kg
  • 0-400m加速:14,97秒(ターボモデル)
  • 最高速度:221,20km/h(ターボモデル)

Related Post


  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

管理人:CIMASHIMA

管理人:CIMASHIMA

幼い頃に近所にあったDR30スカイラインのスーパーシルエット仕様に衝撃を受けて、車の魅力に取りつかれる。その後、行きつけの駄菓子屋のオバちゃんが910ブルーバードnismoバージョンを購入し車好きが加速。そして、憧れだったDR30を免許取得後に購入し、イジって乗り回すもエンジンブローで最期を迎えてしまう。今となっては思い出となるも旧車やカスタムマシンなど、今も気になるマシンは数知れず。そんな世界の名車やカスタムマシンたちの情報をお届けするブログです。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。