【平成名車ベスト10・スポーツカー編】平成初期は技術と個性光る

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【平成名車ベスト10・スポーツカー編】平成初期は技術と個性光る

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平成の時代において国産モデルの自動車は、デザイン、性能、人気と現在でも劣ることのないほどまでに進歩していました。現在からすれば、復活してほしいと多くの絶版車として挙げられることも多い平成のスポーツカーたち。その中でも、名車として今なおファンの支持を得ているスポーツカーをベスト10として挙げてみました。今回は「平成元年~平成10年」ほどの平成初期にデビューしたモデルたちです。では、振り返ってみましょう。


「平成元年:日産・フェアレディZ(Z32型)」

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キャッチコピーは「スポーツカーに乗ろうと思う」。30年を経てもまだ色褪せないワイド&ローなデザインは秀逸の一言であり、デザインコンセプトである「獰猛な野生動物」を見事に表現していました。多くのファンを魅了する4代目モデルのZ(ズィー)カーがこのモデルで当時国内メーカー間で過熱していた馬力競争に歯止めがかけられ、国内自主規制初適用がこのモデルの「280馬力」を謳うエンジンでした。

しかし、当時の日産は300馬力を狙っていたとも言われています。エクステリアデザインは、ワイド&ローの迫力のあるボディの設計にはCADが多用され、これにより直列6気筒エンジンではなく新開発・ツインターボチャージャー搭載の「VG30DETT」型エンジンを搭載し、電子制御式4WSであるスーパーHICASがツインターボモデルに装備され、より理想的なコントロール性能を目指していました。


「平成元年:日産・スカイラインGT-R(R32型)」

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平成元年の1989年ほど国産車にとって名車の当たり年、ビンテージイヤーといえる年はそうそうないといわれています。実に平成元年の8月、「スカイラインGT-R」が「ケンメリGT-R(KPGC110型)」以来となる16年ぶりの復活をしました。

グループAレースでツーリングカーの頂点に立つという目標を掲げ、最高出力:600馬力級の直6ツインターボエンジン(RB26DETT型)を地面に確実に伝える、四輪マルチリンクサスペンション+最新のトルクスプリット4WD=アテーサE-TSなど、最新最強のスペックを惜しみなく投入されました。「ポルシェ・911ターボ」すら凌駕する圧倒的なパフォーマンスを実現したのでした。国産スポーツモデルのレベルを、一気に10年分以上底上げした歴史的な一台とされています。


「平成元年:マツダ・ユーノス・ロードスター(NA型)」

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平成元年9月、マツダから「ユーノス・ロードスター」が発売開始されました。世界的にも完全に下火になっていた「ライトウェイトオープン スポーツ」を理想的な形で復活させました。

かの世界的な名車「ロータス・エラン」を彷彿とさせる愛着が持てるスタイリング、運転することの楽しさを最優先したFRレイアウトの優れたパッケージでした。エンジンパーツ類はベーシックなスペックでしたが、価格が安価で、適度に和風テイストも盛り込んだ傑作でした。このモデルは世界中の自動車メーカー、真のスポーツカーファンに大きな影響を与え、パッケージの妙から、30年経っても魅力が色褪せない不朽の名車とされています。


「平成元年:トヨタ・セリカGT-FOUR(ST185型)」

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1989年9月となりますが、CMにアメリカの「映画:ビバリーヒルズコップ」などで人気俳優となっていた「エディ・マーフィ」氏を起用しスポーティさや軽快なイメージを与えてのデビューとなった「ST185型」。 先代モデルのイメージを残しつつも、ニューエアロフォルムと呼ばれるボリュームのあるシルエットが特徴的なエクステリアデザインとなっていました。

プラットフォームは先代をベースとしていながら、サスペンションのリファインが行なわれて剛性が上げられています。さらにフルタイム4WDである「セリカ GT-FOUR」のリアデフには、日本初のトルセンリミテッド・スリップ・デフを装着していました。また限定車として、油圧制御式アクティブサスペンション装着車が用意されたことも興味深いことでした。「WRC(世界ラリー選手権)」においては、「トヨタ」は日本メーカー初の「マニファクチャラーズタイトル」を獲得(ダブルタイトルも日本メーカー初)しています。


「平成2年:ホンダ・NSX」

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1980年代後半、セナ・プロストコンビでF1を席巻していた絶頂期のホンダが、そのフラッグシップマシンとして、1990年9月に登場させた国産車初の本格スーパーカーだった「ホンダ・NSX」。世界初の「オールアルミモノコック・ボディ」を採用し、F1譲りのVTECエンジンを横置きでミッドシップにレイアウトしていました。

ニュルブルクリンクを徹底的に走り込み、ボディ剛性の強化やサスペンションジオメトリーなどをとことん追求しており、ポルシェやフェラーリが真っ青になるほど、優れたハンドリング特性を誇っていたのでした。ドライバーを中心にした設計思想で作られていて、視界なども非常に良好(運転席からの水平方向の視界は311.8度)の設計でした。また、ドライバートレーニングのためのNSXオーナーズミーティングなどもメーカーが主催し、スポーツカー文化の面での功績も大きかったのです。キャッチコピーは『our dreams come true』というものでした。


「平成3年:マツダRX-7(FD3S型)」

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フロントミッドシップのコーナリングマシン、「マツダ・RX-7」の3代目モデル、「FD3S型」は1991年の10月に登場しました。ホイールベースをはじめ、基本的なプロポーションは先代のFC3Sと変わらないものの、新開発の四輪ダブルウイッシュボーンサスで足まわりをアップデートしていました。サスアームにはピロボールまで入れていたのです。

エンジンは「ポルシェ・959」に次ぐ、シーケンシャルツインターボ+13Bロータリーで、パワーウエイトレシ5㎏/ps以下の達成を使命に開発しています。当初より150kgの軽量化に成功し、車重を1,250kgに抑えています。「操るのはデバイスではなく、あくまでドライバーの右足」というコンセプトで作られており、かなりクイックな味付けで、「R32型:GT-R」の対抗馬として一目置かれるハンドリングを誇っていました。


「平成6年:ホンダ・インテグラタイプR(DC2型)」

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1998年8月に「ホンダ・インテグラ」で初のタイプRが登場しました。ベース車でもNAでリッター100馬力を越えていたB18型エンジンを、手作業によるポート研磨をはじめ、ピストン、カム、吸排気系、ECUをチューニングし、1.8リッターで最高出力:200馬力までチューニングされていました。

車体も剛性アップと軽量化され、サスペンションもタイプR用のセッティングとなっています。ヘリカルLSDも装着され、FF=曲がらないというイメージを完全に払拭したモデルでFFのスポーツカーとして革命的な一台でした。メーカーによる本格チューニング=タイプRを定着させた意味でも、歴史的なモデルといえます。


「平成6年:スバル・インプレッサWRX STi」

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スバルの初代モデルの「インプレッサ」は、1993年からWRCに参戦していました。1995年には8戦中5勝を挙げて、コリン・マクレーがドライバーズタイトルを獲得し、同時にマニュファクチャラーズタイトルも手にしてダブルタイトルに輝きました。

「レガシィ」のWRC参戦経験を生かし、コンパクトなボディに強力なターボエンジン、そしてそのパワーを4WDで余すところなく路面に伝えるという方法論を確立し、ラリー界で日本車の黄金時代を確立していきました。グループAは量産車ベースで、市販モデルもワインディングでは驚異的に速く、「スカイラインGT-R(R32/R33)」など大パワー車もサーキット以外では手を焼いた激速モデルでした。


「平成8年:三菱・ランサーエボリューションⅣ」

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「トヨタ・セリカ」、「スバル・インプレッサ」という「WRC(世界ラリー選手権)」に参戦していたモデルたちのライバルとなった「三菱・ランサーエボリューション」シリーズも名車です。「ランサーエボリューションⅠ」は、平成4年=1992年の登場でしたが、歴史に残るとなると、フルモデルチェンジとなった第二世代の「ランサーエボリューションⅣ」以降のモデルといえるかもしれません。

「ランサーエボリューションⅣ」には、電子制御で旋回性を向上させる「アクティブ・ヨー・コントロール(AYC)」が実用化されていました。WRCでも、三菱の電子制御アクティブディファレンシャルシステムは最大の武器で、1996年から1999年まで4年連続ドライバーズタイトル(トミ・マキネン)の偉業を成し遂げています。市販車では、3ナンバーサイズになった「ランサーエボリューションV」以降の戦闘力アップが特筆できます。AYC+ACDの電子制御4WDは、好悪が分かれることもあったが、日本独自のハイパフォーマンスカーといえます。


「平成11年:ホンダ・S2000」

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本田技研工業創立50周年記念として、1999年4月に発売された「ホンダ・S2000」も欠かすことは出来ない名車です。ホンダとしては「S800」以来、29年ぶりのFR車で、エンジンもシャシーも専用開発という異例のモデルでした。JTCCやF3のレーシングエンジンだった、「H22A改」のデチューン版の新エンジンである「F20C」は、量産エンジンでレブリミット9000回転という驚異のスペックでした。

オープンカーとしては群を抜くボディ剛性を誇るハイボーンXフレームに、ミッションまでも専用設計となっており、低重心化を狙ったインホイールレイアウトの四輪ダブルウイッシュボーンサスを採用し、サスペンション剛性を高めるために、サブフレームにブッシュを介さずボルト結合していました。ステアリングフィールを優先し、チルトやテレスコなどの調整機能を廃しているなど、非常に意欲的な設計が目立ったモデルとして仕上げられています。ロングノーズのフロントミッドシップで、重量バランスも前後50:50を実現していました。リヤダンパーもレスポンスに優れた別タンク式だったりと、何もかもスペシャルだった「S2000」。

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管理人:CIMASHIMA

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幼い頃に近所にあったDR30スカイラインのスーパーシルエット仕様に衝撃を受けて、車の魅力に取りつかれる。その後、行きつけの駄菓子屋のオバちゃんが910ブルーバードnismoバージョンを購入し車好きが加速。そして、憧れだったDR30を免許取得後に購入し、イジって乗り回すもエンジンブローで最期を迎えてしまう。今となっては思い出となるも旧車やカスタムマシンなど、今も気になるマシンは数知れず。そんな世界の名車やカスタムマシンたちの情報をお届けするブログです。

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